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松本智津夫被告東京地裁判決要旨(2004年2月27日)

      T教団の設立と発展

略

      U 田口修二さん殺害事件

略

     V  坂本弁護士一家殺害事件

略
  
 

     W 教団の武装化
 
 1 麻原彰晃被告は、90年の衆議院議員総選挙に真理党として教団幹部ら24名と共に立候補したが惨敗したことから、90年4月ころ、教団幹部ら二十数名を集め、「今の世の中はマハーヤーナでは救済できないことが分かったので、これからはヴァジラヤーナでいく。現代人は生きながらにして悪業を積むから、全世界にボツリヌス菌をまいてポアする。救済の計画のために私は君たちを選んだ」などと言って無差別大量殺人の実行を宣言して以来、ボツリヌス菌の培養、ホスゲン爆弾の製造、プラズマ兵器の製造、核兵器の開発、炭疽菌(たんそきん)の培養等を教団幹部らに指示して教団の武装化を強力に推進し、その一環として、サリンをプラントで大量に生成するとともに、多数の自動小銃を製造しようと考えた。
 他方で、被告は、CSIの名称を改めた広報技術部の村井秀夫らに指示し、飛行船、ホバークラフトなど一応外観上それらしいものを製作させるなどして教団には高度の科学技術がある旨宣伝し、あるいは、自ら大学で講演会等で、ハルマゲドン後に生き残るためには教団に入信して被告の下で修行し成就するしかない旨を示唆するなどし、理科系の優秀な人材や高度の専門知識等を有する人材を多数入信、出家させることに努め、その結果、筑波大学大学院で有機化合物の合成等について研究をしていた土谷正実や、東京大学大学院で物理学を専攻していた豊田亨らが出家するに至った。
 
 2 被告は、教団の武装化の一環として武器を製造することを考え、93年2月上旬ころ、広報技術部の村井秀夫、渡部和実、豊田亨及び広瀬健一に対し、教団で実際に造ることができるようにロシアに武器の情報収集に行くよう指示し、村井らは、ロシア連邦に赴き、軍の施設や大学、研究所等を訪れ、銃やロケット等について種々の説明を受けるなどし、教団自らが設計製造するために、旧ソ連軍に採用された自動小銃AK-74を1丁入手し、これを分解してその一部を持ち帰った。被告は、その報告を受け、横山真人を自動小銃製造の責任者に指名して、AK-74を模倣した自動小銃の製造作業を進めるよう指示した。
さらに、渡部及び広瀬は、被告の指示により、93年5月ころ、ロシア連邦に赴き、弾丸の製造法や自動小銃の金属部品の表面を硬くし耐摩耗性を強める窒化処理の方法について調査し、窒化炉の図面等を入手するなどし、帰国後、渡部が中心となって窒化炉の設計を始めた。`
 
 3 (1) 被告は、93年6月ころ、教団の武装化の一環として化学兵器の中でもサリンをしかもプラントで大量に生成しようと考え、土谷にその生成方法について研究するよう指示した。
土谷は、93年8月ころ、フラスコ内で少量のサリンの生成に成功し、引き続きプラントにおけるサリンの大量生成の方法について研究を進めた。
 
  (2) 被告は、そのころ、自分の部屋で、石井久子や井上嘉浩の前で「私の今生の目標は最終完全解脱と世界統一である」という話をし、また、第7サティアンに70トンのサリンを生成するプラントを造ろうと考え、93年8月末か9月初めころ、上祐史浩、村井秀夫、新実智光らの同席する被告の部屋で、滝沢和義に対し、「70トンのサリンプラントを造ってくれ。いきなり大きいのでいこう」などと言って70トンのサリンを生成できるプラントの設計をするよう指示した。
 
 (3) 滝沢は、土谷正実に聞いたり文献等を調査したりするなどし化学的知識を吸収してサリンプラントの設計に取り掛かった。
村井は、93年夏ころ、被告の、意を受け、新実に対し、責任者としてサリン生成の原料となる化学薬品を購入する手続きを進めるよう指示した。
新実は、土谷が計算したサリンの大量生成に要する化学薬品の数量に基づいて、サリンの大量生成に要する原料であるフッ化ナトリウム、イソプロピルアルコール等の化学薬品を購入する手続きを進めた。

 (4) 被告は、サリンをヘリコプターで上空から散布することも考え、ヘリコプターの購入を図り、ヘリコプターの操縦免許を取らせるために出家信者らをアメリカ合衆国やロシア連邦に派遣した。

 (5) 土谷正実は、村井、中川智正及び滝澤和義らと相談するなどした上、サリンプラントにおける5工程から成るサリンの大量生成の方法を決めた。

 4 (1) 麻原彰晃被告は、かねてから創価学会の池田大作名誉会長を敵対視していたが、サリンの大量生成の方法についてめどがついたことから、その製法によって生成されたサリンで池田を暗殺するよう村井秀夫らに指示した。
 村井らは、被告の指示に基づき、2回にわたり、前記の方法に基づき生成されたサリンを創価学会の施設に噴霧した。
1回目は93年11月中旬ころ、乗用車に設置した農薬用噴霧器を使って約600グラムのサリン溶液を噴霧し、2回目は93年12月中旬ころ、熱した鉄板の上にサリンを滴下して気化させそれを大型ファンで上方に排気する構造の噴霧装置を設置したサリン噴霧車を使用して約3キログラムのサリン溶液をしたが、いずれも池田に被害を与えるには至らなかった。
しかし、特に2回目の際には、サリン噴霧車に乗車していた村井秀夫及び新実智光は、当初、ビニール袋を頭から被り酸素ボンベからエアラインを通して酸素を送り込む方式の防毒酸素マスクを着用していたが、警備員に不審を抱かれ逃走した際、サリン噴霧車を運転していた新実が、酸素マスクを外すなどしたため、サリンに被ばくし、次第に視界が暗くなり、呼吸困難に陥り、やがてひん死の状態に至った。
医療役として待機していた中川智正らは、合流して、新実に対しパム等を注射し、村井と共に人工呼吸を施すなどの救急救命措置をとりながら、教団付属医院に新実を搬送した。
被告もその報告を受けて同医院に赴き、医師である林郁夫に対し、サリンで池田を殺害しようとして新実がサリンに被ばくした旨の説明をしてその治療をするよう指示した。
新実は一命を取り留め、症状は回復した。
このような新実の症状を目の当たりにした被告及び村井ら教団幹部らは、これを契機に、土谷らが生成したサリンを加熱し気化させて噴霧した場合に相当な殺傷能力を有すること及びサリン中毒を避けるために前記防毒酸素マスクが有効であることなどを認識した。

 (2) 麻原彰晃被告は、そのころ、信徒対応に当たっている井上嘉浩らに対し「サリンができた。あと3万人いれば何とかなる。だから、何としてでも3万人のサマナを作らないといけないんだ」などと大量の出家信者の獲得を指示した。

 5 (1) 村井秀夫は、12月終わりころ、被告の、意を受け、中川智正に対し、サリンを50キログラム造るよう指示した。
中川は、94年1月、滝沢に依頼してクシティガルバ棟内に強力な排気装置を備えた実験室であるスーパーハウスを造らせ、土谷と共に女性信者らに指示しながら、同所で、前記の5工程の生成方法により、第4工程まで生成を済ませた後、94年2月中句ころ、グラスライニング製反応釜などを使用して第5工程の作業を行い、サリンを含む溶液約30キログラムを生成した。
同工程において、中川らは、当初予定していた量を超えてイソプロピルアルコールを加えたため、サリンのほかメチルホスホン酸ジイソプロピルも生成されてサリンの含有率は約70%となり、さらに、反応釜の内部のグラスライニングされているコバルトを含有するガラスが溶け出て、生成されたサリンを含有する溶液は青色を帯びた(青色サリン溶液)。
ほどなくして、被告は、約30キログラムの青色サリン溶液が生成された旨の報告を受けた。

 (2)中川智正は、青色サリン溶液約30キログラムを滝沢らと3個のテフロン容器に小分けし、94年4月にその容器をクシティガルバ棟内に移し土谷の下で保管するに至った。

 6 (1) 麻原彰晃被告は、かねてから自己の前生は中国を宗教的政治的に統一した明の朱元璋であるなどと公言していたが、94年2月22日から数日間、村井秀夫、新実智光、井上嘉浩、早川紀代秀、遠藤誠一、中川智正ら教団幹部や真理科学技術研究所のメンバーその他の出家信者ら合計約80名を引き連れて中国に旅行し、前世を探る旅として朱元障ゆかりの地を巡った。被告は、その旅の途中、ホテルの一室で、約80名の同行した出家信者に対し、タントラ・ヴァジラヤーナにおける五仏の法則について、「アクショーブヤの法則」とは、例えば毎日悪業を積んでいる魂は長く生きれば生きるほど地獄で長く生きねばならずその苦しみは大きくなるので、早くその命を絶つべきであるという教えである。アモーガシッディの法則とは、結果のために手段を選ばないという教えである」などと体系的に説いた上、「97年、私は日本の王になる。03年までに世界の大部分はオウム真理教の勢力になる。真理に仇(あだ)なす者はできるだけ早く殺さなければならない」旨の説法をし、武力によって国家権力を打倒し日本にオウム国家を建設し自らが王となる意図を明らかにした。

 (2) 麻原彰晃被告は、そのために、サリンプラント製造計画と自動小銃製造計画を軸とする教団の武装化をより一層早める必要があると考え、中国旅行から帰国した直後である94年2月27日ころ、都内のホテルオークラにおいて、中国旅行に同行したメンバーらの前で、「このままでは真理の根が途絶えてしまう。サリンを東京に70トンぶちまくしかない」などと言い、村井秀夫、早川紀代秀、井上嘉浩らの前で、サリンによる壊滅後、日本を立て直して支配するが、オウムが生き延びるためにも食糧事情等の調査もしなければならないという趣旨のことを話した。
また、被告は、同ホテルで、サリンプラントの設計担当者である滝沢ら真理科学技術研究所のメンバーを集め、設計担当者を新たに追加し、その設計を急ぐよう発破を掛けた。

 (3) 被告は、その翌日、千葉市内のホテル「ザ・マンハッタン」に移動し、同所に呼び寄せた広瀬健一及び豊田亨に対し、自動小銃の製造チームに加わり、自動小銃1000丁を一、二カ月で完成させるよう指示し、青山吉伸や富永昌宏らのグループに対しては、自衛隊を取り込むために自衛隊員の意識調査をし、また、東京が壊滅した後に理想的な社会を作っていくための作業として、現代の日本の矛盾点についてーカ月で調査するよう指示した。

 (4) 他方、被告は、一般信者には、教団支部等での説法等を通じて、教団がサリンの大量生成や自動小銃の製造などの武装化を進めていることを秘し、教団が国家権力から毒ガス攻撃を受け続け危機的状況にあることを強調して国家権力に対する敵がい心をあおった。

 7 被告は、94年3月中旬ころ、新実、井上、中村昇らに対し、「もうこれからはテロしかない」などと言い、新実をリーダーとして、自衛隊出身あるいは武道のできる出家信者十数名に軍事訓練のキャンプをさせ、94年4月上旬ころには、そのうち約10名をロシア連邦に派遣し、数日間、軍の施設で自動小銃等による射撃の訓練をさせ、94年9月下旬ころにも、異なるメンバーで、多種の武器による射撃訓練が実施された。

 8 麻原彰晃被告は、93年12月ころから、信者らに電極付きの帽子を被(かぶ)らせて被告の脳波をその脳に送り込むというイニシエーション(PSI)を始め、これにより修行が飛躍的に進むなどとして、在家信徒に対して、PSIの対価として高額の金員を徴収していたが、94年6月ころからは、幻覚剤であるLSDの入った液体を飲ませるキリストのイニシエーションを教団信者に実施してLSDのもたらす作用により神秘的な幻覚体験をさせ、被告に対する帰依を強めるとともに、その対価として高額な金員を徴収し、また、94年秋ころからは、LSDと覚せい剤の入った液体を飲ませるルドラチャクリンのイニシエーションを実施した。

 9 被告は、94年5月ころ、青山吉伸らのグループに対し、オウムでも日本やアメリカのような省庁制度を作るので、その国家制度について調査するように指示し、また、日本を壊滅した後の将来の国家体制を担うオウム国家の憲法草案を起草するよう指示した。
94年6月ころの段階での憲法草案には、主権は神聖法皇である被告に属することや神聖法皇に国家権力を集中することなどが規定されていた。
 さらに、被告は、日本やアメリカの行政組織を模した省庁制を採用し、教祖である被告を頂点とし、その下に、被告が直轄する法皇官房、武装化に向けて兵器等を開発するなどしてした真理科学技術研究所が改編された科学技術省(大臣は村井秀夫)、被告やその家族の警護や軍事訓練、スパイの摘発等を担当する自治省(大臣は新実智光)、信徒からの情報収集その他の諜報(ちょうほう)活動等を行う諜報省(CHS、大臣は井上嘉浩)等の省庁を設け、大臣や次官には教団幹部を任命した。


      X  サリンプラント建設事件
 
 【罪となるべき事実】
 麻原彰晃被告は、村井秀夫らと共謀の上、サリンを生成し、これを発散させて、不特定多数の者を殺害する目的で、93年12月ころから94年12月下旬ころまでの間、山梨県西八代郡上九一色村の第7サティアン及びその周辺の教団施設等において、
 
(1) 1、同サティアン内に設置するサリン生成化学プラント工程等の設計図書類の作成、

2、同プラントの施工に要する資材、器材及び部品類の調達、その据え付け及び組立て並びに配管、配電作業を行うなどして同プラントをほぼ完成させ、さらに、

(2) サリン生成に要する原料であるフッ化ナトリウム、イソプロピルアルコール等の化学薬品を調達し、これらをサリンの生成工程に応じて同プラントに投入し、これを作動させてサリンの生成を企て、もって、殺人の予備をした。

 【弁護人の主張に対する当裁判所の判断】
 1 (1) 弁護人は、サリンプラントは、93年11月の段階のみならず94年12月の時点でもサリンを生成できる見込みは全くなく、法益侵害の相当の危険性がなかったから、殺人予備罪は成立しない、また、本件公訴事実に罪となるべき事実が包含されていないから、公訴棄却の決定がされるべきであると主張する。

 (2)そこで検討すると、殺人予備は、殺人の実行の着手に至らない段階における、殺人罪の構成要件実現に向けられた準備行為であるが、殺人予備罪の成否については、当該準備行為が、殺人罪の構成要件実現のために実質的に重要な意味を持ち、殺人罪の構成要件実現の現実的危険性を発生させ得る程度に客観的に相当の危険性を有するものであるか否かという観点から判断すべきである。

 そして、93年11月ころまでに、
1、土谷正実らによる研究、検討の結果、少量で多数の者を殺傷し得る化学兵器であるサリンを大量生成するための工程がほぼ確立され、その工程に基づき実際にサリンを含有する600グラムサリン溶液が生成されたこと、

2、その工程によりサリンを大量生成するために必要な化学薬品等が、教団のダミー会社を介して大量に購入され始めたこと、

3、サリンプラントが造られる予定の第7サティアンが建設されたこと、

4、滝沢和義がサリンプラントに用いる機械装置類の設計を始めたことなど証拠によって認められる事実関係に照らすと、93年11月ころには既にサリンの大量生成工程がほぼ確立し、それに必要な大量の化学薬品等の購入が開始され、サリンプラントを設置する工場も完成するなどサリンの大量生成に向けての態勢が整えられていたのであるから、その時点以降の準備行為である、

(ア)1、第7サティアン内に設置するサリンプラントの工程等に係る設計図書類の作成、

2、同プラントの施工に要する資材、器材及び部品類の調達、その据え付け及び組立て並びに配管・配電作業を行うなどして同プラントをほぼ完成させ、

(イ)サリン生成に要する原料であるフッ化ナトリウム、イソプロピルアルコール等の化学薬品を調達し、これらをサリンの生成工程に応じて同プラントに投入しこれを作動させてサリンの生成を企てる行為は、大量殺人を実行するために実質的に重要な意味を有するものであり、また、大量殺人が実行される現実的危険性を発生させ得る程度に客観的に相当の危険性を有するものであって、殺人予備罪に該当するものと解される。

 (3)サリンプラントにおける第1ないし第4工程が思うように機能せず当初予定した70トンという
生成能力にははるかに及ばず、同第5工程においてサリンが生成されたことがないにしても、実際に、94年12月までの間に、サリンプラントにおいて、第4工程まで稼働させて50ないし80リットルのジクロを2回にわたり生成し、そのうち1回分のジクロからジフロを生成することにも成功しているのであり、後は、第5工程関係の部屋や配管等について気密テストをするなどした上で、生成済みのジクロ及びジフロに調達済みのイソプロピルアルコールを加えて反応させれば相当量のサリンを生成させることができるまでの状態に至っているのであって、サリンプラントで生成されるサリンにより大量殺人が実行される現実的危険性を発生させ得る程度の客観的な相当の危険性は93年11月ころ以降徐々に高まりこそすれ、決して減少してはいないのであるから、93年11月ころから94年12月下旬ころまでの間のサリンの大量生成に向けてされた前記一連の行為は殺人予備行為というに何ら妨げないというべきである。
この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 2 (1) 弁護人は、教団で生成したサリンは、最終戦争が起きたときに教団を防衛する手段として利用するにとどまるから、具体的な殺人の目的があったとはいえないと主張する。

 (2) しかしながら、前記「W 教団の武装化」で述べた事実関係のほか、
1、被告は、サリンプラント建設の進ちょくがはかばかしくないことから、94年4月中ごろ、滝沢和義に対し、「4月25日までに完成させろ。グルの絶対命令だ。必ず完成しろ。そうしないとおまえは無間地獄行きだ」などと脅し付けるなどして、サリンプラントの早期完成を命じるとともに、早川紀代秀を現場の監督者に指名したこと、

2、被告は、94年7月、第7サティアンにおける2回にわたる量騒ぎが起きた際警察官もやってくるなどしたため強制捜査を受けるかもしれないなどの不安を抱き動揺していた滝沢に対し「もうプラントをやめるか。私はシヴァ大神の意思、真理に背くことは嫌だ。このまま続けないとおまえは後で絶対後悔するぞ。大丈夫だから」などと言って、プラントの建設を続けさせたこと、

3、被告は、94年6、7月ころ及び94年10月ころ、村井、渡部及び滝沢と話し合いをした末、第4工程又は第5工程の各反応釜の形状、材質等について決定し、また、94年8月ころ、五塩化リン生成装置について、当初の方法を変更し、滝沢の意見のとおり、塩素ガス中に、三塩化リンを投入し反応させて五塩化リンを生成する方法を採用することを決めたこと、

4、被告は、94年7月末ころ、サリンプラントの稼働要員となるメンバーに対し、「これから第7サティアンでプラントのオペレーターをやってもらうが、そのボタン操作を誤ると富士山麓(ろく)が壊滅する。このワークを40日間ずっと第7サティアン内に詰め込んで作業をやる。これは死を見つめる修行だ。全員菩長にする」などと話したこと、

5、被告は、95年1月1日、上九一色村でサリン残留物質が検出された旨の新聞報道がされたことから、強制捜査を恐れ、サリンプラントの稼働を停止して神殿化などの偽装工作をするよう村井らに指示したことなど証拠によって認められる一連の事実関係に照らすと、被告は、東京に大量のサリンを散布して首都を壊滅しその後にオウム国家を建設して自ら日本を支配することなどを企て、ヘリコプターの購入及び出家信者によるヘリコプターの操縦免許の取得を図るとともに、大量のサリンを生成するサリンプラントの建設を教団幹部らに指示したものというべきであるから、被告が、最終戦争が起こったときに教団を防衛する手段としてサリンを使用するためにサリンプラントの建設を指示したものとは到底考えられない。
 したがって、本件公訴事実に係る行為に具体的な殺人の目的が認められることは明らかであり、この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 3 (1)弁護人は、サリンプラントは、村井秀夫が提案した荒唐無稽(こうとうむけい)な企画の一つであり、被告は、その実現は不可能と考えたが、村井らのマハームドラーの修行にもなると考え、村井のなすがままに任せたにすぎず、被告には殺人の目的も殺人予備の共謀もないと主張する。

 (2) しかしながら、被告は、サリンプラントの早期完成に向けて、
1、1年以上もの期間にわたり多額の金員と多数の人員をサリンプラントの建設に充てるなどし、

2、その進ちょくがはかばかしくないことにいら立って、随時人材を投入してサリンプラント建設担当者の増強を図ったり、滝沢和義に対し、グルの絶対命令だ、無間地獄行きだなどと脅し付けてサリンプラントの早期完成を命じたり、新たに現場の監督者を置いたりするなどし、

3、サリンプラントの稼働要員に対してはステージを上げることを約束するなどして危険な業務に従事させ、

4、他方で、サリンプラントで使用する反応釜の形状、材質等や五塩化リン生成方法など技術的な細部についても自ら裁定するなどし、

5、95年1月1日付けの前記新聞報道がされるや強制捜査を受けることを恐れ、サリンプラントを停止させて偽装工作をさせるなどしたものである上、実際にサリンプラントにおいてジクロ及びジフロを生成することができているのであるから、被告がサリンプラントによるサリンの生成が実現可能であると考えていたものと認められるし、被告が村井らのマハームドラーの修行にもなると考えて村井のなすがままに任せたものとは到底認め難い。
 したがって、被告に殺人の目的及び殺人予備の共謀が認められることはもとより明らかであり、この点に関する弁護人の主張は採用することができない。  


       Y 滝本弁護士サリン襲撃事件

 【犯行に至る経緯】
 1 滝本太郎は、83年4月から弁護士業務に携わり、88年4月には自宅のある神奈川県大和市内に法律事務所を開設し、89年11月、オウム真理教被害対策弁護団に入り、90年以降、教団を相手方とする民事訴訟等の代理人として活動し、93年7月ころから、教団信者の親族から依頼を受け、信者の出家阻止・脱会のために、オウム真理教被害者の会の永岡会長の長男である元出家信者の永岡辰哉らの協力を得るなどして信者に対するカウンセリング活動を行い、94年5月ころまでの間に12人くらいの教団信者にカウンセリングを行い、ほぼ全員が脱会した。
滝本弁護士は、教団の実態や教えの矛盾に関する様々な話をした上で、同弁護士自身が実際に蓮華座を組んだまま跳び上がった瞬間を撮影した、いかにも空中浮揚をしているように見える写真を示し、被告の空中浮揚の正体を暴いて被告が最終解脱者ではないことを分からせるようにするなどした。
 教団出家信者と上九一色村の住民とのトラブルに関する民事訴訟について、教団幹部である弁護士の青山が教団信者側の、滝本弁護士が住民側の各訴訟代理人となって、甲府地裁での審理が進められ、第8回口頭弁論期日が94年5月9日午後1時15分に指定された。

 2 被告は、青山吉伸らから、このような滝本弁護士の訴訟活動や教団信者に対する出家阻止・脱会のためのカウンセリング活動等について報告を受けていたが、大量の出家信者の獲得に精力的に努めている時期に、滝本弁護士自身の空中浮揚の写真により被告自身の空中浮揚の正体を暴き教団の実態等を明らかにするなどして信者の出家阻止・脱会のための活動を活発化させている滝本弁護士をこのまま放置することはできず、教団の活動の妨げとなる同弁護士を排除する必要があるものと考え、94年5月上旬までに、同弁護士の殺害を決意するに至った。

 3 被告は、5月7日ころ、第6サティアン1階の被告の部屋に青山吉伸、遠藤誠一、中川智正らを呼び、青山から、5月9日午後1時15分に甲府地裁で滝本弁護士を相手方訴訟代理人とする口頭弁論期日があるが、同弁護士はいつも自動車を運転してきているから同期日も自動車で来るであろうと聞いた。
そこで、被告は、青山、遠藤及び中川に対し、サリンの隠語である「魔法」という言葉を用いて「滝本の車に魔法を使う」と言い、さらに、1回目の池田事件で噴霧したサリンが乗用車内に流入してきた経験を踏まえ、滝本の運転してくる自動車の外部、ボンネットなどにサリンを滴下して外気の導入口を通じて車内に気化したサリンを流入させ、これを滝本に吸入させるなどして滝本を殺害することを命じ、青山、遠藤及び中川はこれを了承した。
被告は、その際、遠藤及び中川に対し、サリンの代わりにアンモニアを使って実際に普通乗用自動車の外部に滴下して気化したものが車内に流入するのか試してみるよう指示した。

 4 その後、遠藤及び中川は、滝本の自動車が相模ナンバーの三菱ギャランであることを知り、遠藤が、被告に滝本車両が信者の車と同じ車種であることを伝えると、被告は、信者のギャランを実験に使うよう指示した。
 遠藤及び中川は、信者のギャランを借り受けた上、山道で、アンモニア水を同車のボンネットの先端付近とフロントウインドー付近にそれぞれ滴下し、空気循環を外気導入の状態にして同車を走行させるなどして比較した結果、フロントウインドー付近の方が車内でのアンモニア臭が強いことを確認し、7日昼ころ、被告にその旨を報告すると、被告は「よし、そこでいい」と言った。
 その場にいた青山が、遠藤及び中川に、滝本弁護士は甲府地裁の表の駐車場に駐車させるであろうことを説明すると、被告は、遠藤及び中川に対し、「おまえらは、裏の駐車場に停めろ。裏の駐車場から歩いていって滝本の車に掛ければいい。掛けた人を後で回収しろ」などと具体的手順を指示するとともに、サリンを滝本車両に滴下する実行役について、女性信者(当時未成年)を指名し、「B型女性はいったんやると決めたらためらわないから。わしの方から話しておく」などと話し、さらに、滝本車両の駐車位置を女性信者らに教える役を青山の運転手である富永昌宏に割り当てる旨話した。

 5 被告は、7日夜、青山の同席する第6サティアン1階の被告の部屋で、中川や遠藤の話を聞き、遠藤の持っているテフロン製の遠沈管にサリンを入れるよう指示し、女性信者の服装等について、「裁判所にふさわしい服を着せろ。お布施のものがあるだろう。倉庫のかぎを開けてそこから借りればいい。マスクとサングラスを掛けさせろ。化粧もさせろ」などと話した上、自動車にサリンを掛ける練習を女性信者にさせるよう指示し、さらに、甲府地裁に乗っていく自動車について、「教団にお布施された車の中でまだ名義変更のされていないものを使え。ナンバーは不自然ではない近県のナンバーを用意しろ」などと指示した。
また、被告は、遠藤から女性信者の化粧や服を選ぶことなどに関して別の信者を使っていいか聞かれ、これを了承した。

 6 被告は、7日夜、第6サティアン1階の被告の部屋に富永を呼び、同人に対し、「サマナを無理やり下向させている滝本という弁護士がいる。明日もその関係で甲府で裁判がある。滝本に魔法を使う。君にはアパーヤージャハ(青山)の車を運転してもらう。詳しいことはジーヴァカ(遠藤)たちに聞いてくれ」と言って、滝本弁護士の殺害に加担するよう命じ、富永はこれを承諾した。

 7 その後、青山、遠藤、中川及び富永の4名は、第6サティアン1階のリビングで、打ち合わせをし、翌9日の行動について確認した。

 8 被告は、5月8日夜、第6サティアン1階の被告の部屋に女性信者を呼び、同人に対し、「やってほしい仕事があるんだが、やる気はあるか」と聞いたところ、同人から「ぜひやらせてください」と言われ、「ちょっと危険なワークだけれども、できるかな。ある人物をポアしょうと思うんだよ」などと述べて、滝本弁護士の殺害に加担するよう命じ、女性信者はこれを承諾した。

 9 中川は、前記リビングでの打ち合わせ後、予防薬のメスチノン、治療薬の硫酸アトロピンやパム、注射器等を準備した上、富永に対し、2時間前にこれを1錠飲むように指示して青山の分を含めた2人分のメスチノン2錠を渡したが、その際、研修医の経験を有する富永に対し、遠藤や中川がサリン中毒になった場合には代わりにパムを注射してくれるように頼んだ。
中川は、池田事件のときのように重症のサリン中毒者が出た場合のことなどを考え、教団付属医院の医師である林郁夫に手伝ってもらおうと考え、被告の了解を得た後、林郁夫に、サリンの中毒患者が出た場合に対処できるように午後2時ころ甲府南インターで待機してくれるよう頼んだ。

 10 中川は、5月9日早朝、遠藤から、直径3ないし5センチ、長さ12、13センチの試験管のような形でねじ込み式のふたの付いているテフロン製46t用遠沈管を3本くらい受け取り、クシティガルバ棟スーパーハウス内のドラフトにおいて、防毒マスク及び合成樹脂製の手袋を着用した上で、青色サリン溶液の一部を各遠沈管に30ないし40tずつ移し入れてふたをし、溶液が漏れないようにしてサリンを準備した。

 11 遠藤及び中川は、女性信者がサリンを吸い込まないで所定の場所にサリンを掛けることができるように、9日午前7時か8時ころ、遠沈管と同種の容器にサリンの代わりに水を入れ、女性信者に、自動車に水を掛ける練習をさせた。
その際、中川が「掛けるときには顔を背けて、息は止めるように。手や服に付かないように気を付けるように。付いたらすぐに言うように」などと注意した。

 12 遠藤、中川及び女性信者は、9日午前9時ないし10時ころ、遠藤運転のニッサン・パルサーで出発し、甲府地裁に向かう車中で、遠藤は、女性信者に対し、甲府地裁で、指示した車に練習してもらったとおりやってもらう旨話した。
 他方、青山及び富永も、そのころ、富永運転のトヨタ・クラウンで甲府地裁に向けて出発し、その後、青山が、予防薬を飲むのを忘れていた富永に注意し、車を停めて二人共メスチノンを1錠ずつ飲んだ。
 遠藤らと青山らは、いったん合流して打ち合わせをした後、甲府地裁に向かったが、そのころ、中川は、女性信者に予防薬だから飲むようにと言って女性信者にメスチノンを1錠飲ませた。
また、遠藤及び中川もメスチノンを1錠ずつ服用した。

 13 滝本弁護士は、ギヤランを運転して、9日午後0時15分ころ、甲府地裁に到着し、表側(西側)駐車場の正門より南側のスペースに駐車し、車内の空調はオートエアコンで内気循環のままエンジンを停止し、窓は全部閉め、ドアも施錠した状態で車を離れ、相代理人の弁護士の事務所に歩いて行き、その後9日午後1時15分ころ、甲府地裁における前記口頭弁論に出廷した。

 14 遠藤ら及び青山らは、9日正午ないし午後0時半ころ、甲府地裁に到着し、遠藤らのパルサーは同地裁の裏側(東側)駐車場に駐車し、青山らのクラウンは表側(西側)駐車場の正門より北側のスペースに裁判所の建物に背を向ける態勢で駐車した。
青山は、南側に既に駐車してあるギャランに気付き、富永に指示して、同車が滝本車両であることを確認させた上、滝本車両の駐車位置を遠藤らに知らせるよう指示した。
富永は、裏側駐車場にいる遠藤、中川及び女性信者に、滝本車両の駐車位置を記した図面を見せて滝本車両の位置を教え、表側駐車場のクラウンに戻った。

 15 青山は、9日午後1時15分前ころ、クラウンの窓を閉め、富永に「裁判は5分くらいで終わる。
危険だから窓を開けるなよ」と言って、クラウンを降り、同裁判所の建物の中に入っていき、前記の口頭弁論に出廷した。

 16 一方、パルサー内で、遠藤は、女性信者に対し、やるべき行為を指示するなどし、中川は、サリン中毒防止のために、女性信者に合成樹脂製の手袋を渡し、ヤオハンで購入した手袋の下にその手袋を着用するよう指示し、女性信者はそれに従った。
女性信者は、中川から、青色サリン溶液30ないし40t入りの遠沈管1本を受け取って上着ポケットに入れ、遠藤から、使用後の遠沈管を入れるためのチャック付きビニール袋を受け取って上着の反対側ポケットに入れて、9日午後1時15分ころ、パルサーを降り、西側駐車場に行き、駐車中の滝本車両を見つけ、同車両に近づいた。

 【罪となるべき事実】
 麻原彰晃被告は、青山吉伸、遠藤誠一、中川智正、富永昌宏及び女性信者(当時未成年)と共謀の上、サリンを発散させて滝本太郎(当時37歳)を殺害しようと企て、94年5月9日午後1時15分ころ、甲府地方裁判所西側駐車場において、女性信者が、同所に駐車中の滝本所有の普通乗用自動車の運転席側のフロントウインドーアンダーパネルの溝及びその付近に、所携の遠沈管内のサリンを含有する溶液30ないし40tを滴下し、サリンを気化・発散させて同車両内に流入させるなどし、同駐車場及びその後の走行中の同車両内などにおいて、前記口頭弁論などを終え9日午後1時30分ころ同車両に運転席側ドアを開けて乗り込み同車両を運転し走行させた滝本をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、滝本にサリン中毒症の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかった。

 【弁護人の主張に対する当裁判所の判断】
 1 (1) 弁護人は、青色サリン溶液を滝本太郎車両に滴下した女性信者の本件行為は人を死に至らせる危険性がなく、殺人の実行行為に該当しないと主張する。

 (2)そこで、本件行為に殺人の実行行為性があるかどうかについて検討すると、本件行為は、化学兵器である強い殺傷能力を有するサリンを相当程度含有する青色サリン溶液30ないし40tを滝本車両の運転席側フロントウインドーアンダーパネルの溝及びその付近に滴下することにより、その後、同車両に乗り込んで同車両を運転し走行させる者に気化・発散したサリンを吸入させ、その結果、同人をサリン中毒により直接的に又は交通事故等を介して間接的に死亡させる現実的危険性を有するものであり、現に滝本弁護士は気化したサリンを吸入してサリン中毒症にかかるなど死の危倹にさらされたものであるから、本件行為が殺人の実行行為性を有することは明らかである。

 (3) ア 弁護人は、青色サリン溶液がサリンであるか疑問であると主張する。

 しかしながら、
1、女性信者が青色サリン溶液を滴下した滝本車両の運転席側のフロントウインドーアンダーパネルの溝及びその付近に対応するフロントウインドーアンダーパネル運転席側の表の面及びカウル右側水抜き穴の付着物から、いずれもサリンの第1次加水分解物であり、比較的安定性を有するメチルホスホン酸モノイソプロピルが検出されたこと、

2、青色サリン溶液は、その生成時である94年2月において、サリンを70%くらい含有していたものであること、

3、青色サリン溶液は94年6月下旬に実行された松本サリン事件にも使用されたものであるが、後述のとおり、犯行現場周辺や被害者の生体資料等からサリンやその第1次加水分解物であるメチルホスホン酸モノイソプロピル、第2次加水分解物であるメチルホスホン酸、サリンの副生成物であるメチルホスホン酸ジイソプロピルが検出されていること、

4、サリンは自然界には存在せず、かつ、他の化合物からサリンの分解物と同一物が得られることはなく、サリンの分解物であるメチルホスホン酸モノイソプロピル及びメチルホスホン酸が検出され、副生成物であるメチルホスホン酸ジイソプロピルが検出されたということは、実際にサリンが存在した化学的証拠となるとされていること、
5、その他後記のとおり青色サリン溶液の気化ガスを吸入してサリン中毒と同様の症状に陥った者が少なくないことなど証拠によって認められる事実関係を併せ考えると、本件で使用された青色サリン溶液がサリンを相当程度含有するものであることは明らかである。
 
 イ これに対し、弁護人は、土谷正実の公判供述等に基づき、かなりの量のイソプロピルアルコールが反応しないまま残っていたことから、サリンは、生成後2ヵ月の間に、イソプロピルアルコールの中ですべて分解された可能性があると主張する。

 しかしながら、
1、滝沢和義は、青色サリン溶液の最終工程において、当初予定された量のイソプロピルアルコールを投入した後、中川智正の指示を受け、目算で当初の予定量の4分の1ないし3分の1くらいの量のイソプロピルアルコールを追加して投入したものであること、

2、ジクロ1モルとジフロ1モルとイソプロピルアルコール2モルを反応させるとサリン2モルが生成されること、

3、ジクロ1モルとイソプロピルアルコール2モルを反応させるとメチルホスホン酸ジイソプロピル1モルが生成され、ジフロ1モルとイソプロピルアルコール2モルを反応させるとメチルホスホン酸ジイソプロピル1モルが生成されること、

4、メチルホスホン酸ジイソプロピルがサリンの分解物である可能性は低く、むしろサリン合成の際の副生成物と考えられていることなど証拠によって認められる事実関係等に照らすと、イソプロピルアルコールを2モルを超えて投入した場合、例えば、予定量の4分の1を更に追加した2.5モルのイソプロピルアルコールを投入した場合には、ジクロとジフロ合わせて1.5モル分が1.5モルのイソプロピルアルコールと反応して1.5モルのサリンが生成され、残りのジクロとジフロ合わせて0.5モル分が残りの1モルのイソプロピルアルコールと反応して0.5モルのメチルホスホン酸ジイソプロピルが副生されるものと認められる。
分子量は、サリンが140、メチルホスホン酸ジイソプロピルが180であるから、青色サリン溶液内でのそれらの質量比は7対3となるが、このことは、青色サリン溶液がサリンを70%くらい含有する事実とよく整合する。
そうすると、追加投入されたイソプロピルアルコールはほぼジクロ及びジフロと反応し、サリン70%くらい、メチルホスホン酸ジイソプロピルを30%くらいそれぞれ含有する青色サリン溶液が生成されたものであり、その後の時間経過等を考慮しても本件行為時及び松本サリン事件の際にはなお相当程度サリンを含有するものというべきである。
 そうであるならば、本件行為及び松本サリン事件の際には青色サリン溶液中のサリンはイソプロピルアルコール下ですべて分解されてメチルホスホン酸ジイソプロピルとなった旨の土谷の公判供述は信用することができず、これに依拠する弁護人の主張は、その前提を欠くものであるから、採用することができない。
そして、このことは、松本サリン事件において、犯行現場周辺等からサリンやメチルホスホン酸ジイソプロピルが検出されたことをよく説明し得ている。

 (4) ア 次に、弁護人は、青色サリン溶液中のサリンの殺傷能力はそれほど強いものではないと主張する。

 しかしながら、
1、青色サリン溶液中には、1立方メートル中にそれが0.1グラム存在する中に人が1分間さらされるとその半数が死に至るほどの強い殺傷力を持つサリンが相当程度含まれていること、

2、池田事件において、青色サリン溶液を生成した方法と同様の方法により生成したサリンを噴霧した際、サリン噴霧車を運転していた新実智光がサリンに被ばくして、視界が暗くなり、呼吸困難に陥り、やがてひん死の状態に陥り、パムの注射その他の救急救命措置等により一命を取り留めたこと、

3、女性信者が本件行為の際滝本車両に滴下した青色サリン溶液の気化したガスを吸い、次第に目の前が暗くなる、気持ちが悪くなるなどのサリン中毒の症状を呈したが、パムの注射により事無きを得たこと、

4、本件行為後女性信者を乗せた乗用車内にいた遠藤や中川も目の前が少し暗くなるなどのサリンによる症状が出たこと、

5、松本サリン事件において、青色サリン溶液が使用され、サリン中毒により住民7人が死亡するなどの重大な結果が生じたことなど証拠によって認められる事実関係等を併せ考慮すると、青色サリン溶液中のサリンが強い殺傷能力を有するものであることは明らかである。

 イ これに対し、弁護人は、サリンの予防薬とされている臭化ピリドスチグミンは通常1回当たり30ミリグラムを投与することとされているが、メスチノン(1錠は臭化ピリドスチグミン60ミリグラム含有)は、それ自体アセチルコリンエステラーゼの活性を阻害するというサリンと同様の効果を持ち、これを服用するとサリンとの相乗効果により、重い中毒症状が出るものであり、池田事件における新実の症状は、新実が臭化ピリドスチグミン60ミリグラムを含有するメスチノン1錠を服用してサリンに被ばくしたことによるもの、すなわち、過剰投与した臭化ピリドスチグミンとサリンの相乗効果により生じたものであって、新実の症状をもって教団で造った青色サリン溶液中のサリンの殺傷能力が高いとまではいえない旨を主張し、その根拠として、臭化ピリドスチグミンの過剰投与が有機リン系化合物被害の防御又は治療に逆効果となる旨の学術報告があることを挙げる。 

しかしながら、
1、同報告ではモルモットの場合で明らかに保護率が低下しているとみられるピリドスチグミンの投与量(アセチルコリンエステラーゼのおよそ60%を阻害する量)は、同30%を阻害する量の4倍以上であること、

2、アセチルコリンエステラーゼと可逆的に結合しサリンの予防薬とされている臭化ピリドスチグミンは通常1日3回1回当たり30ミリグラムを投与することとされており、人が臭化ピリドスチグミン30ミリグラムを服用すると体内の20ないし40%のアセチルコリンエステラーゼが臭化ピリドスチグミンと結合することとされていること、

3、メスチノンは1錠中臭化ピリドスチグミン60ミリグラムを含む重症筋無力症の治療薬で、1日180ミリグラムを3回に分けて服用することとされ、ペンチを使用しても分割することの難しい錠剤であり、その投与が過剰な場合に、ムスカリン様作用として縮瞳等が現れることがあるとされているにとどまることなど証拠によって認められる事実関係等に照らすと、30ミリグラムの2倍にすぎない60ミリグラムの臭化ピリドスチグミンを含有するメスチノン1錠を1回服用しただけで、前記の新実のようなひん死の状態に至るほどのサリンとの相乗効果が生じたとは考え難いというべきである。
また、松本サリン事件において、青色サリン溶液が使用された結果、サリン中毒により住民7人が死亡するなどの重大な結果が生じたことなどを併せ考慮すると、青色サリン溶液中のサリンがそれほど殺傷能力がないにもかかわらず過剰に投与したメスチノンとの相乗効果ゆえに新実に前記の重い中毒症状が生じたなどといえないことは明らかであり、この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 ウ また、サリンに光学異性体としてプラス体のものとマイナス体のものとがあり、そのいずれかによってその効力が極端に異なることがあるにしても、青色サリン溶液中のサリンあるいは教団においてこれと同様の生成方法で生成したサリンの殺傷能力は、これまでみてきたとおり、極めて強力なものであると認められるのであり、光学異性体の性質に言及して教団で生成した青色サリン溶液中のサリンの殺傷能力が極めて弱いものであったとする弁護人の主張は採用することができない。

 (5) ア 弁護人は、サリン少量を滝本車両のボンネットのフロントウインドー部分付近に滴下しただけでは、同車両内へのサリンの流入可能性にも疑問があり、人を死に至らせる危険性はないと主張する。

 イ しかしながら、
1、滝本車両を使用しての外気流入実験の結果や、

2、遠藤及び中川が、事前に、滝本車両と同車種の車両を使用して、アンモニア水を同車のフロントグリル付近とフロントウインドー付近にそれぞれ滴下し、空気循環を外気導入の状態にして同車を走行させたところ、前者よりも後者の方が車内でのアンモニア臭が強いことを確認したことなど証拠によって認められる事実関係を併せ考えると、サリンと上記各実験で用いられたイソプロピルアルコール、ドライアイス、アンモニア、コーヒーとの化学的性質の種々の違い等を考慮に入れても、滝本車両のドア、窓、ダンパー(外気取り入れ用)を閉め、オートエアコンを外気導入にした場合はもちろんのこと、それを内気循環にした状態でも、滝本車両を走行させた場合、運転席側フロントウインドーアンダーパネルの溝部分に滴下したサリンの気化したガスが外気と共に車内に流入し得るものであること及び、滝本車両の同部分にサリン30tを滴下した場合、その一部は車両右側前部のタイヤの後方地面に流れ落ちて同所で揮発し、運転席側ドアの開閉により気化したサリンが車内に流入する可能性があることを認めることができる。

 ウ そして、前記のとおりサリンの場合、人の経気道半数致死量が0.1グラム分/立方メートルであることを考慮すると、サリンを相当程度含有する青色サリン溶液30tを滝本車両の運転席側フロントウインドーアンダーパネルの溝及びその付近に適下しただけでも、その場で及び走行中に気化したサリンガスを吸入させることなどにより、人を死に至らせる現実的危険性は大きいものと認められる。
この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 (6) ア 弁護人は、滝本弁護士の目の前が暗くなったという症状には疑問があるし、それは青色サリン溶液中のサリンによるものではないと主張する。

 イ しかしながら、滝本弁護士は、視野全体が暗くなる症状について具体的かつ詳細に証言している上、証拠によれば、同弁護士は、本件行為が行われたことさえ知らない94年5月11日に脳神経外科を専門とする医師の診察を受けた際、5月9日車を300キロ運転したがその後視野全体が暗くなった旨の話をしていたのであり、同弁護士の証言の信用性を疑う余地はないというべきである。

 ウ そして、
1、滝本弁護士は、本件行為の約15分くらい後である94年5月9日午後1時30分過ぎころに滝本車両の運転席側のドアを開けて乗り込んでその運転を開始し、9日午後5時前に帰途につくまでには、既に視野全体が暗くなる症状が出始めており、9日午後6時ころ、相模湖インターチェンジの料金所付近で更にその症状が進んでこれを自覚するに至ったこと、

2、滝本弁護士は、本件行為時前に視野全体が暗くなる症状が出たことはそれまでなかったし、同症状は、5月11日には既に消失しその後そのような症状が出たことはなく、5月11日の診察においてもそのような症状を呈する脳疾患等の異常は何ら発見されなかったこと、

3、視野全体が暗くなるのはサリンを吸人した場合の症状の一つであること、本件行為後滝本弁護士が滝本車両に乗車して同車両を運転し走行させたが、その際、同車両内にサリンを流入させ、同弁護士にこれを吸入させることは物理的に可能であることなど証拠によって認められる事実関係を併せ考えると、滝本弁護士の視野全体が暗くなったという症状は青色サリン溶液中のサリンによるものと認められるから、この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 2 (1)弁護人は、被告は、青色サリン溶液の殺傷能力に対する認識がなく、指示どおりの成果が出ないことを承知の上でマハームドラーの修行として、女性信者らに対し、滝本車両に青色サリン溶液を滴下するよう指示したにすぎないから、滝本弁護士に対する殺意も、殺人についての共謀もなかったと主張する。

 (2)しかしながら、
1、被告は、サリンの殺傷能力について繰り返し説法等に及び、また、教団の武装化の一環として、93年6月ころ以降、村井や土谷、滝沢、中川らに対し、直接又は間接的に、サリンの生成を指示し、教団でサリンの生成に成功するとこれを使用して2回にわたり池田を殺害するよう村井らに指示し、94年2月に青色サリン溶液30キログラムが生成された旨の報告を受けた後は、村井らに対し、東京に70トンのサリンをまいて壊滅すると言うなどして、サリンプラントの設計を急がせたこと、

2、被告は、池田事件の際、新実が3キログラムサリン溶液中のサリンに被ばくし、ひん死の状態に陥った旨の報告を受け新実が搬送された教団付属医院に赴き、同医院の医師である林郁夫に対し、サリンで池田を殺害しようとして新実がサリンに被ばくした旨の説明をしてその治療をするよう指示したこと、

3、被告は、94年5月8日夜、女性信者に対し、ある人物をポアすることに加担するよう指示した際、その方法が女性信者にとって「ちょっと危険なワークだ」と説明したこと、

4、中川が、本件行為を実行するに当たって、池田事件のときのように重症のサリン中毒者が出た場合などを案じて、林郁夫に手伝ってもらおうとした際、被告がこれを了解したこと、

5、被告は、本件行為後、中川から、女性信者が臭いをかいでしまったようなので女性信者にパムを注射した旨の報告を受けた際、女性信者に大丈夫かと尋ねたこと、

6、被告は、本件行為の数日後、滝本弁護士が元気であることを確認し、「結果が出なかったな」などと言ったことなど証拠によって認められる事実関係を総合すれば、被告が青色サリン溶液中のサリンの殺傷能力や本件行為の現実的危険性を認識した上で、青山、遠藤、中川、富永及び女性信者の5名に対し、滝本弁護士の殺害を指示し、同弁護士を殺害する旨の共謀を遂げたことは優に認められ、もとより、被告がその指示どおりの成果が出ないことを承知の上でマハームドラーの一環として遠藤らに本件行為を指示したものでないことは明らかである。
この点に関する弁護人の主張は採用することができない。



        Z 松本サリン事件

 【犯行に至る経緯】
  1 (1)  教団は、長野県松本市に教団松本支部および食品工場を建設することを計画し、その敷地の使用権を取得するため、賃貸借契約に基づき使用する部分と売買契約により取得する部分とに分け、賃貸借部分については地主との間で株式会社オウム名義で賃借し、売買部分については仲介不動産業者を中間に入れ教団等が買い受けるなどして教団が本件土地全体を使用することとし、91年6月、賃貸借契約及び売買契約が締結された。
 しかしながら、地元住民は教団の進出に対する反対運動を起こし、地主は、91年10月、株式会社オウムに対し、同社が賃貸借契約の際、教団が道場として使用することを秘した詐欺を理由として賃貸借契約を取り消すなどの通知をした。
これに対し、教団は、本件土地に食品工場及び事務所を建築する計画を維持したまま、91年11月下旬ころ、建築主事による建築確認を受けた。
 
 (2) 教団は、91年12月9日、長野地方裁判所松本支部に対し、町会長を相手方として、建築工事妨害禁止等の仮処分の申し立てをし、一方、地主も、12月10日、同裁判所に対し、教団及び株式会社オウムを相手方として、賃貸借部分の建築工事禁止等の仮処分の申し立てをした。
これに対し、地裁松本支部は、92年1月17日、教団をめぐって道場における未就学児童問題、国土利用計画法違反問題等から各地で地元住民や信者の家族らとの間でトラブルが多発し、社会的な関心を呼んでいたことから実質的な借主が教団であるとの事情は、地主が土地賃貸借契約という継続的な契約関係を結ぶか否かの判断に影響を与えかねず、これを意図的に誤らせる言動は取引上の信義則に反するとして、地主の主張に係る詐欺を理由とする賃貸借契約の取り消しを認めた上で、教団の申し立てをいずれも却下する旨の決定及び地主の申し立てを担保を立てることを条件に認容する旨の決定をした。
 教団は、認容決定に対し、仮処分異議を申し立てるとともに、却下決定に対し、東京高等裁判所に抗告したが、92年3月13日、抗告を棄却する旨の決定がされた。

 (3) そこで、教団は、賃貸借部分をも使用して教団松本支部及び食品工場を造ることをあきらめ、当初の計画を縮小して、売買部分に教団松本支部を建築することとし、3月23日、教会を建築する計画について、建築主事による建築確認を受けた。
 これに対し、地主は、92年4月3日、地裁松本支部に対し、教団及びオウムを相手方として、賃貸借契約の詐欺による取り消しと同様に売買契約の詐欺による取り消しを主張し、売買部分の建築禁止等の仮処分の申し立てをしたが、地裁松本支部は、92年5月20日、売買契約における仲介不動産業者の説明等が、売買の取引慣行、信義則に照らして違法性があるとはいえず、詐欺を認めるだけの疎明がない上、詐欺を理由として取り消された賃貸借契約と売買契約が経済的には密接な関係を有しているとしても、両者の契約が運命を共にすべき理由はないなどとして、地主の申し立てを却下する旨の決定をした。
 そこで、地主は、5月27日、地裁松本支部に対し、教団等を被告として、売買部分の所有権移転登記の抹消登記手続き、売買部分の明け渡し、本件土地における建物の建築禁止等の判決を求める旨の訴えを提起した。
地主側は、訴訟の中で、教団をめぐる様々な問題を取り上げて教団の反社会性を強調し、詐欺を理由とする賃貸借部分の賃貸借契約の取り消しや売買部分の売買契約の取り消しの有効性を基礎づける立証活動を行うとともに、仮処分事件で詐欺を理由とする取り消しが認められた賃貸借契約と売買契約は取引の目的も契約締結も密接不可分で二者一体の関係にあり、観念的に分けて考えることは全く無意味であるなどと主張した。

 (4) 教団の代理人を努めていた青山吉伸は、これらの仮処分事件や訴訟の経過及び結果については要所要所でポイントとなる部分を麻原彰晃被告に逐一報告していた。
 教団は、訴訟の係属中に教団松本支部を完成させたものの、被告は、教団を非難する地主を含む反対派住民やその申し立てを認めて教団松本支部の建物の規模を縮小させた長野地裁松本支部裁判官に反感を抱き、92年12月18日、教団松本支部の開設式において、
「この松本支部道場は、初めはこの道場の約3倍ぐらいの大きさの道場ができる予定であった。
しかし、地主、それから絡んだ不動産会社、そして裁判所、これらが一蓮托生(いちれんたくしょう)となり、平気でうそをつき、そしてそれによって今の道場の大きさとなった。…この社会的な圧力というものは、修行者の目から見ると、大変ありがたい…しかし…これがもし逆にその圧力を加えている側から見た場合、どのような現象になるのかを考えると、私は恐怖のために身のすくむ思いである」などと言い、地裁松本支部裁判官や地主らの反対派住民を敵対視し、これらの者には将来恐るべき危害が加えられることを予言する旨の説法をした。

 (5) 地裁松本支部は、94年5月10日、同事件の弁論を終結し、判決言い渡し期日を94年7月19日と指定した。
 青山は、そのころ、被告に対し、いよいよ弁論が終結して判決になる旨を報告し、その際、判決の見通しについて、仮処分時と特に状況は変わっていない旨話したものの、仮処分事件で教団側の主張が認められた売買部分について勝訴するとまでの断定的な言い方は控えるなど、賃貸借部分は無理でも売買部分については確実に勝訴できる旨の誤解を被告に与えないように慎重に言葉を選びながら意見を述べた。

   2  被告は、70トンのサリンを東京に散布して首都を壊滅し、国家権力を打倒して日本にオウム国家を建設し自らその王となってこれを支配することをもくろみ、既に、サリンの大量生成やサリンプラントの建設を教団幹部らに指示してその計画を着々と進行させ、自らが敵対視してきた池田や滝本弁護士対し、教団で生成したサリンを使用するなどし、その過程で生成したサリンの殺傷能力を確認するとともに、その効果を最大限に引き出すためのサリンの噴霧方法やサリン中毒を防止する方法等について試行錯誤を繰り返していたものであるが、94年6月ごろ、村井秀夫と相談した上、新たに造る加熱式噴霧装置の性能ないしこれにより噴霧するサリンの殺傷能力を実験的に確かめておこうと考え、その使用する対象として、反対派住民である地主の仮処分の申し立てを認めて教団松本支部の建物を当初の予定よりも縮小させる原因を作り、本案訴訟においても、賃貸借部分についてはもちろんのこと、売買部分についても教団に不利な判決をする可能性もないとはいえない地裁松本支部を選び、新たに造る噴霧装置を搭載したサリン噴霧車により、昼間地裁松本支部を目標にしてサリンを噴霧し、自ら敵対視していた同支部裁判官のみならず同支部周辺の住民を殺害することを決意した。

  3  被告は、6月20日ころ、村井が同席していた第6サティアン1階の被告の部屋に、新実智光、遠藤誠一及び中川智正を呼び集め、同人ら3名に「オウムの裁判をしている松本の裁判所にサリンをまいて、サリンが実際に効くかどうかやってみろ」と言った。
続いて、村井が「昼間、裁判所にまくことになる。サリン噴霧車ができ次第すぐにやる」と言った。
新実は、池田事件の際加熱用のガスバーナーの火が噴霧装置搭載部分に燃え移ったことに起因してサリンに被ばくしひん死の状態に陥ったことから、村井に対し、噴霧方法や防御のマスクについて聞くと、村井は、ガスバーナーでなく電気ヒーターで加熱するので大丈夫である旨及び池田事件のときの防毒酸素マスクが有効であったのでそれと同じものを着用する旨の返答をし、被告もそのマスクを使用することを了解し、中川がその防毒酸素マスクを準備することになった。
 また、新実は、池田事件の際警備関係者に不審を抱かれ追跡されたことから、警察官や通行人に目撃された場合の対応策について聞くと、被告は「警察等の排除はミラレパ(新実)に任せる。武道にたけたウパーリ(中村昇)、シーハ(富田隆)、ガフヴァ(端本悟)の3人を使え」と指示し、また、サリン噴霧車の運転を端本にさせるように言った。
  このようにして、被告は、村井、新実、遠藤及び中川に対し、地裁松本支部を目標としてサリンを噴霧し、同支部の裁判官ほか多数の者を殺害することを指示し、村井ら4人はこれを承諾して、ここに被告ら5名はその旨の謀議を遂げ、サリン噴霧車の準備ができ次第すぐにその計画を実行することとなり、最後に被告が「後はおまえたちに任せる」と言って、具体的な準備や実行は村井や新実に任せる旨を伝えた。
 
 4 村井は、渡部和実、藤永孝三らに対し、2トンアルミトラックを改造してその後部のアルミコンテナ部分に加熱式噴霧装置、すなわち、運転席からの遠隔操作により、コンテナ上部のタンク内の液体を、電気ヒーターで加熱した銅容器内に落下させ、これを加熱して気化させ、それを大型送風扇で外部に噴霧することができる装置を設けるよう指示し、6月27日朝までに、サリン噴霧車を完成させた。

 5 防毒酸素マスクを準備するよう指示を受けた中川智正は、池田事件のときに使用した防毒酸素マスクと同じ方式のものに、さらに、首の部分をひもで絞れるようにして脱げにくくしたものの製作に取り掛かり、防毒酸素マスク用及び被ばくした際の治療用の酸素ボンベを準備した。

 6 新実智光は、6月25日、サリン噴霧車の運転手を務める端本悟と共に、地裁松本支部周辺の下見に行った際、端本に対し、地裁松本支部に向けてサリンを噴霧する計画を打ち明け、端本がサリン噴霧車を運転することになっていることなどを伝え、端本はこれを承諾した。
新実らは、タバコの煙で風向きを調べながら、サリン噴霧車を駐車してサリンを噴霧することのできそうな場所を見つけて、上九一色村の教団施設に戻った。
 
 7 村井秀夫は、6月26日、中川智正に対し、「明日実行する」旨伝えるとともに、「クシティガルバ棟でサリンを噴霧車に注入してくれ」と指示した。
中川は、サリン中毒の予防・治療のために、予防薬のメスチノンや、治療薬のパム、硫酸アトロピン等の医薬品や注射器、注射針等の器具を準備し、さらに、クシティガルバ棟に保管していた青色サリン溶液の入った容器をスーパーハウス内に集めた。
 
 8 6月26日から6月27日にわたる深夜ないし未明にかけて、都内にある教団経営の飲食店で、省庁制の発足式が開かれ、各省庁の大臣、次官100人くらいが出席し、被告の前で決意表明をし、村井秀夫、新実智光、遠藤誠一、中川智正及び中村昇もこれに出席して決意を述べ上九一色村の教団施設に戻った。
  新実は、そのころ、村井から、サリン噴霧車が6月27日午前中に準備ができ、昼ころ出発するので第7サティアンの前に集まるように言われ、27日早朝までに上九一色村の教団施設に戻り、第6サティアン2階の新実の部屋に中村昇、端本及び富田隆を呼び集め、3人に対し、地裁松本支部に向けてサリンを噴霧し多数の者を殺害する計画を打ち明け、サリン噴霧車の運転は端本がすること、サリンを噴霧している最中に警察官がくるなど妨害があった場合は3人でこれを排除することなどを話し、既にその話を聞いていた端本のほか中村昇及び富田隆もこれを承諾した。

 9 中川智正は、省庁制の発足式から上九一色村の教団施設に戻り、27日午前10時ないし11時ころ、サリン噴霧車がクシティガルバ棟内に運び込まれた際、村井秀夫から指示を受け、サリン中毒に備えて遠藤誠一をジーヴァカ棟に待機させ、エアラインを通して空気が供給される防毒マスクと手袋を着用してサリン噴霧車のコンテナ上部にあるタンクにサリンを約12リットル注入した。

 10 こうして実行メンバー7名は、当初の予定より遅れて27日午後3時半ないし午後4時ころ、第7サティアン前に集合し、出発の準備を終え、端本悟の運転するサリン噴霧車の助手席に村井秀夫が、富田隆の運転するワゴン車に新実智光、遠藤誠一、中川智正及び中村昇がそれぞれ乗り込み、松本市に向かって出発した。
 中川は、途中実行メンバーに予防薬のメスチノンを1錠ずつ飲ませたほか、富田隆及び中村昇に、噴霧したガスを吸ったら視界が暗くなり呼吸が困難になって頭痛、腹痛、下痢等の症状が出てくるから症状が出たら治療薬を準備しているのですぐ申し出るように言い、非常に危険なガスで吸ったら死ぬ可能性がある旨注意した。

 11 村井秀夫、新実智光ら実行メンバーは、27日午後8時ころ、長野県塩尻市内のドライブイン「八望」前の駐車場に2台の車両を入れて休憩したが、既に裁判所の閉庁時刻を過ぎ、開庁時間内にサリンを噴霧することができなくなっていたので、新実は、村井に対し、その点について相談し、地裁松本支部と裁判所宿舎が同じページにある住宅地図を見せながら、裁判官をねらうなら時間帯から考えて裁判所では意味がないのでサリンを噴霧する目標を裁判所から裁判所宿舎に変更することを提案し、考えてくださいと言うと、村井は、同駐車場内の公衆電話から被告に電話を掛けその了承を得た上でその旨新実に伝え、村井及び新実は他の実行メンバーに、サリンを噴霧する目標を裁判所から裁判所宿舎に変更する旨を伝え、その同意を得た。

 12 その後、実行メンバー7名は、裁判所宿舎から西方約190メートルの地点にあるアップルランド駐車場に2台の車両を停め、教団の犯行と発覚しないように、サリン噴霧車とワゴン車の車両ナンバーを偽装したほか、中川智正が中心となって防毒酸素マスクを組み立て実際に酸素が流入するかどうかのチェックをした。
また、中川は、実行メンバーがサリン中毒になった場合に備え、治療薬のパムを注射器に吸い込みいつでも注射できるように準備した。
 その間、村井秀夫は、サリンを噴霧する場所を探すために裁判所宿舎の方に下見に行き、風向き等を考慮の上、裁判所宿舎の西方三十数メートルの地点にある松本市北深志の鶴見西駐車場を噴霧場所とすることに決め、アップルランド駐車場に戻ってきて、他の実行メンバーにその旨を伝えた。

 13 実行メンバー7名は、2台の車両に分乗して鶴見西駐車場に行き、サリン噴霧車はサリンを裁判所宿舎のある東方に噴霧できるように駐車し、ワゴン車はサリン噴霧車から十数メートルのところに駐車した。
村井秀夫は、サリン噴霧車を降りて、コンテナの左右側面の開口部を開け助手席に戻るなどし、実行メンバー7名は各自防毒酸素マスクを着用した。
 同所付近は、一般住宅、マンション、社宅等が立ち並ぶ閑静な住宅街であり、東側には鶴見方の池ややぶを挟んで明治生命寮や裁判所宿舎があり、北東方には開智ハイツや松本レックスハイツが位置し、北側は河野義行方と隣接している。
松本市の27日午後10時ないし午後11時ころの気温は約20ないし21度で、雨は降っておらず、相対湿度は九十数%であり、風速3.2又は0.5メートル毎秒の北西ないし南西の風が吹いていた。

 【罪となるべき事実】
 麻原彰晃被告は、村井秀夫、新実智光、遠藤誠一、中川智正、富田隆らと共謀の上、サリンを発散させて不特定多数の者を殺害しようと企て、94年6月27日午後10時30分過ぎころ、松本市北深志の鶴見西駐車場において、同所に駐車させた普通貨物自動車であるサリン噴霧車に設置した、サリンを含有する青色サリン溶液を充てんした加熱式噴霧装置を村井が助手席から遠隔操作により作動させてサリンを加熱・気化させた上、同噴霧装置の大型送風扇を用いてこれを周辺に発散させ、同市北深志の開智ハイツ204号室などにおいて、伊藤友視(当時26歳)ほか6人をしてサリンガスを吸入させるなどし、よって、6月28日午前0時15分ころから28日午前4時20分ころまでの間、開智ハイツ204号室ほか6か所において、サリン中毒により伊藤友視ほか6名を死亡させて殺害するとともに、同市北深志の河野義行方などにおいて、河野澄子(当時46歳)
ほか3人をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、サリン中毒症の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかった。

 【弁護人の主張に対する当裁判所の判断】
 1 (1)  弁護人は、発散現場又は被害者から採取された資料から検出されたものが、サリン又はサリン関連物質であるとする各鑑定の結果には疑問があるから、サリン噴霧車から気化発散されたものがサリンであるとの立証はされていないと主張する。


  (2) そこで、サリン噴霧車から気化発散されたものがサリンであるかどうかについて検討すると、1、負傷被害者4人の病院搬入時における縮瞳等の症状や血液中のコリンエステラーゼ値低下の程度、

2、死亡被害者7人の縮瞳等の症状や血液中のコリンエステラーゼ値低下の程度、

3、死亡被害者7人の血液又は鼻汁がサリン、サリンの第1次分解物であるメチルホスホン酸モノイソプロピル、第2次分解物であるメチルホスホン酸又はサリンの副生成物であるメチルホスホン酸ジイソプロピルを含有すること、

4、噴霧場所である鶴見西駐車場東側の土砂、河野方の池の水、同池に注いでいる井戸の水、鶴見方の池の水、河野方のポリバケツ内の水、明治生命寮302号室及び松本レックスハイツ3階の窓等をふき取ったガーゼが、サリン、メチルホスホン酸モノイソプロピル、メチルホスホン酸及びメチルホスホン酸ジイソプロピルを含有すること、

5、サリン噴霧車の噴霧装置を構成する加熱容器の付着物がメチルホスホン酸モノイソプロピル、メチルホスホン酸及びメチルホスホン酸ジイソプロピルを含有することなど証拠によって認められる事実関係等に照らすと、サリン噴霧車から加熱・気化され発散された物質はサリンを含有するものであり、そのサリンに被ばくし、前記死亡被害者7人がサリン中毒により死亡し、前記負傷被害者4人がサリン中毒症の傷害を負ったものであることは明らかである。
 そして、上記の生体資料や現場資料などの毒物含有の有無等に関する鑑定や、被害者の血中コリンエステラーゼ値の検査、縮瞳その他被害者に見られる症状の確認は、異なる研究所や病院において、異なる研究者や医師により、本件の手段方法が明らかでない時期に行われたものであり、しかも、その結果、いずれの鑑定資料からも、サリン、サリンの分解物又はその副生成物の少なくともいずれかが検出され、どの被害者にもサリン中毒の症状である縮瞳や血中コリンエステラーゼ値の低下が認められるに至ったものであって、上記の鑑定、検査及び確認は、相互にその正確性ないし信用性を補強し合っているものといえる。

 2 弁護人は、
(1) サリンやその関連物質が検出された上記生体資料や現場資料等の収集手続きに重大な違法があるから、これらを鑑定資料とする各鑑定書の証拠能力は否定されるべきである、

(2) 上記の各鑑定書及びその鑑定者の各証言並びに死亡被害者の死因や負傷被害者の傷害の状況等に関する鑑定書、診断書及び医師の各証言の正確性ないし信用性に疑問があると主張する。

 しかしながら、関係証拠に照らし子細に検討しても、
(1) の鑑定資料の収集手続きにそぼ鑑定書の証拠能力を失わせるような違法はなく、

(2) の鑑定判断、診断等の正確性ないし信用性に格別の問題があるとは認められない。
この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 3 (1) 弁護人は、被告は、村井秀夫や新実智光らとの間で、松本市内でサリンを発散させて不特定多数の者を殺害する松本サリン事件の共謀をしていないと主張する。

 (2) そこで判断すると、新実智光は、被告の松本サリン事件への関与について、
1、94年6月20日ころ行われた松本サリン事件の謀議の状況、
2、省庁制の発足式における被告との会話、
3、サリンを噴霧する目標を裁判所から裁判所宿舎に変更した際の状況、
4、サリンを噴霧した後上九一色村の教団施設に帰る途中電話で被告に報告した際の様子に関し、要旨、次のように証言する。
 
 1、「6月20日ころ、第6サティアン1階の麻原彰晃被告の部屋に、被告、村井秀夫、私、遠藤誠一及び中川智正が集まったとき、
被告が『オウムの裁判をしている松本の裁判所にサリンをまいてサリンの効果を試してみろ』
という趣旨のことを言い出した。
続いて、村井が『昼間、まくことになる。サリンの噴霧車ができあがり次第、実行する』旨言った。
私は、池田事件の際警備をしていた車に追い掛けられてサリンに被ばくしひん死に状態に陥ったことから、そのようなことを心配し『警察とか警備の人が来たらどうしますか』と尋ねると、被告は『警察が来たら排除すればいいじゃないか』と答えた。私が『どうやって、排除すればいいのですか』と尋ねると、被告は『ウパーリ、シーハ、ガフヴァを使えばいい』と言った。
防毒マスクについては、村井が池田事件の際使用した防毒酸素マスクの使用を提案し、被告もこれを了承した。
被告の指示で、サリン噴霧車の運転を端本悟がすることになった。
そして、サリン噴霧車ができたらすぐ計画を実行するということになり、被告が『あとはおまえたちに任せる』と言って話し合いが終った」

 2、「私は、省庁制の発足式の際、村井秀夫から明日昼ころ出発すると聞いた後、麻原彰晃被告に『あした村井さんと一緒に行きますから』と言うと、被告は、しっかりやってこいというような感じの激励の言葉を掛けてくれた」

 3、「私は、八望の駐車場で休憩した際、既に裁判所が閉まっている時間であったので、村井に対し、『裁判所は閉まっているけど、どうするんですか』と尋ね、『裁判所の官舎なら地図で調べられますよ』と言って、裁判所と裁判所の官舎が同じページにある住宅地図を見せながら、裁判官をねらうなら時間帯から考えて裁判所では意味がないのでサリンを噴霧する目標を裁判所から裁判所宿舎に変更することを暗に提案し、『考えてください』と言うと、村井は、その地図を持って、駐車場内の公衆電話ボックスの方に歩いて行った。
私は、トイレの方に行きながら、村井が電話ボックス内に入るのを見た。
それを見て、私は、村井1人の判断では判断できないから、被告の指示を仰ぐのかなと考えた。
私が小用を足すなどして車の方に戻ると、村井が私に『官舎にするから』と言って、サリンを噴霧する目標を裁判所から裁判所の官舎に変更する旨を伝えた」

 4、「上九一色村に戻る途中、被告から電話があった際、私は、暗号で、サリンをまいて、今帰っているという趣旨の返事をした」

 (3) また、遠藤誠一は、麻原彰晃被告の松本サリン事件への関与について、
5、松本市内でサリンを噴霧して上九一色村の教団施設に戻った後、被告にその旨を報告した際の状況等、
6、松本サリン事件の報道を聞いた際の被告の様子等に関し、要旨、次のとおり証言する。

 5、「私は、被告に報告するために中川智正と共に、第6サティアン1階の被告の部屋に行くと、既に村井秀夫と新実智光がいた。
私と中川は、『今戻りました』と報告すると、被告から『ご苦労』と声を掛けられた。
そして、私が『現場から出るとき車をぶつけてしまったんですが、どうしたらいいでしょうか』と指示を仰ぐと、被告が『誰が運転したんだ』と聞くので、私は「シーハ師(富田隆)です』と答えた。すると、被告が『だれがシーハに運転させたんだ』と聞くので、私が『ミラレパ正悟師(新実智光)です』と答えると、被告は『どうしてシーハなんかに運転させるんだ、しょうがないな』と言った。
その後被告はワゴン車の傷について『ガンポパ(杉本繁郎)に直させろ』と私に指示した。
それで、私は、杉本にその旨を伝えにいき、杉本に修理を頼んだが傷が大きすぎて簡単な修理では手に負えないと言われたことから、その旨を被告に伝えると、被告から『ガンポパと東京にでも行って、同じところをぶつけて事故証明をもらって、返せ』と指示された。
それで、被告に言われたとおり実行した後、事故証明をとったことやわごんしゃを返したことを被告に報告した」

 6、「私が松本サリン事件の報道記事を見た前後ころ、被告人が『まだ原因がわからないみたいだな。うまくいったみたいだな』と言っていたのを聞いて、報道自体が何者かによる行為ではなくて単なる事故として報道されているので、被告がそのようなことを言ったのだと思った」

 (4) 新実智光証言ん及び遠藤誠一証言の信用性について検討すると、1ないし6の各証言は話し合いや発言の内容等について具体的かつ詳細に再現されたもので、相互に符合してその信用性を互いに補強し合い、特に、新実証言1については、中川智正や遠藤も、被告から裁判所にサリンをまく旨の指示があった事実を含め大筋においてこれと同旨の証言をし、新実証言4については、これを裏付ける遠藤の証言があり、遠藤証言5については、中川も同旨の証言をしている。
また、新実証言及び遠藤証言は、松本サリン事件の犯行前後の状況を述べたものとして自然であるのみならず、当時、被告が、東京に大量のサリンを散布するなどして首都を壊滅して国家権力を倒しオウム国家を建設して自らその王となり日本を支配するという野望を抱き、サリンプラントの早期完成を目指してそのメンバーに強く発破を掛けるなどして教団の武装化を強力に推し進めるなどしていた事実関係ともよく整合するものである。
 したがって、上記の新実証言及び遠藤証言の信用性は高いというべきであり、同証言のほか関係証拠を総合すれば、被告が、村井や新実らとの間で、松本市内の裁判所や裁判所宿舎に向けてサリンを発散させて不特定多数の者を殺害する旨の謀議を遂げたことは明らかである。
この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 (5) なお、新実は、捜査段階で検察官に対し、「サリン噴霧の場所の変更を裁判所から裁判官官舎にしたことについては、自分は被告に了解を取ったり、連絡したりしていないし、村井秀夫も報告しておくとは言っておらず、村井もしなかったと思う」旨供述し、新実証言3と異なる供述をしている。
 しかしながら、新実は、この点について、
「捜査段階では、被告をかばい立てし、被告の心証を少しでもよくしようと考えて、私と村井の2人が独断で噴霧目標を官舎に変更したように供述した。
この部分は私しか知らない事実であり、その事実を述べるのは忍び難かった。
私が証言することによって、かつての法友たちが苦しむとしたならば、それは慈悲に反するのではないかと考えて慈悲の実践として黙秘、証言拒否をしてきたが、被告に関しては、被告自身は迷妄に陥ってなく、むとんちゃくの実践をしているから、私が何を言おうが苦しまない。
だから、証言することにした」旨証言しているところ、6月20日ころの謀議については中川智正や遠藤誠一も知っていることであるのに対し、八望の駐車場で村井がサリン噴霧目標の変更に関する新実の提案を受けた後公衆電話ボックスのところに行ってボックス内に入り、その後戻ってきた際に新実にサリン噴霧目標の変更を告げたという事実関係については被告を除けば新実しか知り得ないことであり、捜査段階ではその事実を述べることが忍び難く、被告をかばい立てしていたという新実の心情は容易に理解できるところである。
また、前記認定に係る、新実が、松本市内でサリンを噴霧して帰る途中に被告から電話を受けた際の報告内容、新実らが第6サティアン1階の被告の部屋で被告に報告した際の状況、被告が松本サリン事件に関する報道記事に接した際の被告の話の内容は、村井と新実が被告に断りなくサリンの噴霧目標を変更したことを前提したものとは言い難いし、前記のとおり強く教団の武装化を推進していた当時の被告の教団幹部らに対する命令服従関係等を考慮すると、そもそもこのような重大な事柄について村井及び新実が被告の了承を得ることなく変更すること自体不自然であることなどに照らすと、新実証言3の信用性は高いというべきである。

 4 (1)   弁護人は、麻原彰晃被告は、松本サリン事件当時、教団で生成したサリンに殺傷能力があることを認識していなかったと主張する。

 (2) しかしながら被告が滝本サリン事件当時において青色サリン溶液中のサリンに強い殺傷能力があることを認識していたことは前述のとおりであり、滝本サリン事件の後、滝本弁護士が元気であり、結果が出なかったことを確認したものの、

1、被告は、サリンの使用態様が、滝本車両の外気導入口付近に青色サリン溶液を滴下させそれを自然に気化・発散させてこれを吸入させるというものであると認識していたこと、

2、被告は、滝本サリン事件後、青山から、滝本車両にサリンを滴下したがその後滝本が車に戻らず喫茶店に行ってしまった旨聞いたこと、

3、被告は、新実が池田事件の際教団で生成したサリンに被ばくしてひん死の状態に陥ったのを目の当たりにしたことなど証拠によって認められる事実関係等に照らすと、滝本サリン事件の結果が出なかった原因としては、滝本弁護士が滝本車両に乗車した時点までにサリンが全部気化して雲散霧消したためではないかなどとまず考えるのが自然であり、滝本サリン事件の結果が出なかったとの一事をもって、直ちに被告が青色サリン溶液中のサリンに殺傷能力がない旨認識するに至ったとは考えられない。

 むしろ、
4、被告は、村井秀夫と相談した上で、新実がサリンに被ばくしてひん死の状態に陥った池田事件の際に使用した加熱式噴霧装置とは熱源が異なり、電気ヒーターでサリンを加熱する新たな噴霧装置を搭載したサリン噴霧車を製作し、加熱気化したサリンガスを噴霧してどの程度の死傷の結果が発生するかを実験しようと考え、それゆえに6月20日ころの謀議の際、「オウムの裁判をしている松本の裁判所にサリンをまいて、サリンが実際に効くかどうかやってみろ」と村井、新実、遠藤及び中川に指示し、その際、池田事件で使用した防毒酸素マスクが有効であった旨の報告を聞いて、それと同じ防毒マスクを使用することを了承したこと、

5、被告は、松本市内でサリンを噴霧して帰ってきた遠藤から、現場から出るときレンタカー業者から借りたワゴン車をぶつけて同車両に傷を付けた旨を聞いて、再度その部分を別の場所でぶつけ事故証明をもらって業者に返すように罪証隠滅工作を指示し、松本サリン事件が教団による犯行であることの発覚を防ごうとしていること、

6、被告は、松本サリン事件の報道内容を知って、格別これを意外に思うことなく、「うまくいったみたいだな」などと期待したとおりの結果であることに満足している旨の発言を遠藤の前でしていることなど証拠によって認められる事実関係は、被告が、青色サリン溶液中のサリンに殺傷能力がある旨認識していることを物語っている。
   したがって、被告が松本サリン事件当時においても青色サリン溶液中のサリンに強い殺傷能力があることを認識していたことは明らかである。 
この点に関する弁護人の主張は採用することができない。


     


   [ 小銃製造等事件

略
 
  \  落田耕太郎さん殺害事件

略


    ]   冨田俊男さん殺害事件

略       


   ]T VX3事件(水野VX事件、浜口VX事件、永岡VX事件)

第1 VX事件に至る経緯
略

第2  水野昇さんVX襲撃事件
略

第3   浜口忠仁さんVX殺害事件
略

第4   永岡弘行さんVX襲撃事件
略


      ]U 仮谷清志さん拉致監禁致死事件

略
  

      ]V  地下鉄サリン事件

 【犯行に至る経緯】
 1 (1) 95年1月1日、読売新聞朝刊に、上九一色村で94年7月に悪臭騒ぎがあった際に現場から採取された土壌からサリンの残留物が検出され、警察当局が松本サリン事件との関連などの解明に当たることになった旨の記事が掲載された。
麻原彰晃被告は、教団施設に対する捜索が近々行われるのではないかと考え、村井秀夫らに、サリンプラントを停止して神殿化などの偽装工作をし、保管中のサリンやその中間生成物等の処分又は隠匿するよう指示した。
 
  (2) 中川智正は、クシティガルバ棟において、残っていた青色サリン溶液等の中和処理作業をしていた土谷正実がサリン中毒になったため、これを引き継ぎ中和処理作業を進めたが、処理すべき化学物質のうちサリン生成の前段階の物質であるジフロについて、これを造るには手間がかかり、サリンプラントも使用できない状態になるとサリンを造ることができなくなることをおもんぱかり、ジフロ入り容器」を持ち出して教団施設内に隠匿保管し、村井や井上嘉浩にジフロないしサリンの原料を隠していることを話した。

  2 (1)  麻原彰晃被告は、間近と思われた強制捜査が95年1月17日に発生した阪神淡路大震災の影響により立ち消えになったものと考えていたが、井上嘉浩らに実行させた仮谷拉致事件がその事件直後から教団による犯行と疑われるに至り、警視庁による強制捜査の可能性がにわかに現実味を帯びてきたことから、これを避けるため、警視庁に近い帝都高速度交通営団地下鉄霞ヶ関駅構内にボツリヌストキシンを噴霧して混乱を起こそうと企て、井上らに指示して、95年3月15日に同駅にアタッシェケース型噴霧装置を置いてボツリヌストキシン様の液体を噴霧させたが、人を殺傷させることができず、その計画は失敗に終わった。

 (2) 95年3月16日には、読売新聞に、仮谷事件に使われたワゴン車の車体から事件関係者のものとみられる指紋が検出された旨の記事が掲載されたため、被告や村井秀夫、井上嘉浩ら教団幹部は、捜査の進展に危機感を抱き、教団施設に対する大規模な強制捜査に備え、自動小銃の部品等を隠したり、仮谷事件にかかわった信者に対し、その記憶を消去するためにニューナルコを実施したりするなどした。

 3 (1) 麻原彰晃被告は、3月18日午前0時過ぎころから、都内にある教団経営の飲食店において、新たに正悟師に昇格した井上嘉浩ら教団幹部ら約20名を集めて祝いの食事会を開いた。
被告は、その際、井上や青山吉伸らに対し、「エックス・デーが来るみたいだぞ」「なあ、アパーヤージャハ(青山)、さっきマスコミの動きが波野村の強制捜査のときと一緒だって言ったよな」などと間近に迫ったと思われる警視庁による教団施設による強制捜査を話題にしていたが、18日午前2時過ぎに食事会を終え、上九一色村の教団施設への帰途その強制捜査への対応について検討しようと考え、村井、青山、井上、遠藤誠一らに対し、被告専用のリムジンに乗るよう指示した。

 (2) 上九一色村に向かうリムジン車内において、麻原彰晃被告が、村井秀夫らに、間近に迫っている強制捜査にどのように対応すればいいかについて意見を求めると、村井が、阪神大震災が起きたから強制捜査が来なかったと以前被告が話していたことに言及し、これに相当するほどの事件を引き起こす必要があることを示唆するとともに、アタッシェケース事件が失敗した原因は、噴霧口が目立たないようにメッシュを付けたために噴霧されたボツリヌストキシンがこれに当たって噴霧されなかったことのあるのではないかなどと言った。
被告が、井上嘉浩に何かないのかと聞いたところ、井上は、ボツリヌス菌ではなくてサリンであれば失敗しなかったということなんでしょうかという趣旨の意見を述べ、村井もこれに呼応して地下鉄にサリンをまけばいいんじゃないかと発言し、地下鉄電車内にサリンを散布することを提案した。
被告は、首都の地下を走る密閉空間である電車内にサリンを散布するという無差別テロを実行すれば阪神大震災に匹敵する大惨事となり、間近に迫った教団に対する強制捜査もなくなるであろうと考え「それはパニックになるかもしれないなあ」と言ってその提案を容れ、村井に、総指揮を執るよう命じた。
 続いて、村井が、被告に、地下鉄電車内にサリンを散布する実行役として、近く正悟師になる林泰男、広瀬健一、横山真人及び豊田亨を使うことを提案すると、被告は、これを了承するとともに林郁夫も実行役に加えるよう指示した。
 さらに、地下鉄電車内に散布するサリンを生成することができるか否かについても話がされ、被告が、遠藤に対し、「サリン造れるか」と聞くと、遠藤は「条件が整えば造れると思います」と答え、サリンの生成に携わることを承諾した。

 (3)   リムジン車内では、そのほかに、地下鉄電車内におけるサリンの散布が教団によるものであることが発覚するのを防ぐために、教団が、敵対勢力に攻撃されたように見せ掛けてテロの被害者を装い、世間の同情を買うことなどについても話し合いがされ、その自作自演の具体案として、青山吉伸が、教団に好意的な学者の自宅に爆弾を仕掛けることを、井上嘉浩が、より直せつに教団東京総本部道場を爆破することをそれぞれ提案したところ、麻原彰晃被告は、その双方を採用し、学者の自宅に爆弾を仕掛け、東京総本部道場には火炎瓶を投げるよう指示した。

 (4) また、麻原彰晃被告は、リムジン車内で、井上嘉浩に対しても、東京における現場指揮を命じ、このようにして、被告は、東京の地下鉄電車内にサリンを散布する無差別大量殺りく計画について、村井秀夫には総指揮を、遠藤誠一にはサリンの生成を、井上には現場指揮をそれぞれ指示してその了承を得、同人ら3名との間でその共謀を遂げた。

 4 麻原彰晃被告らは、3月18日午前4時ころ、上九一色村の教団施設に到着した。
 村井秀夫は、18日午前8時か9時ころ、第6サティアン3階の村井の部屋に呼び集めた林泰男、林郁夫、広瀬健一及び横山真人に「君たちにやってもらいたいことがある」と言って被告からの指示であることを仕草で示しながら「近く強制捜査がある。騒ぎを起こして強制捜査の矛先をそらすために地下鉄にサリンをまく」と言うと、4名共それが被告の指示によるものと認識した上その実行役となることを承諾した。
 村井は、引き続き、「3月20日月曜日の通勤時間帯に合わせてやる。対象は、公安警察、検察、裁判所に勤務する者であり、これらの者は霞ヶ関駅で降りる。
実行役のそれぞれが霞ヶ関駅に集まっている違う路線に乗って霞ヶ関駅の少し手前の駅でサリンを発散させて逃げれば、密閉空間である電車の中にサリンが充満して霞ヶ関駅で降りるべき人はそれで死ぬだろう」と言い、さらに、林泰男らに対し、サリン散布の方法について、被告の案であると断った上で、ジュース等の容器にサリンを入れてふたをし、散布するときにふたを開けて転がしてサリンを流出させるという方法を挙げ、他にいい考えがあれば考えておくように言った。
また、村井は、実行役はかつらで変装する旨の被告の指示や、実行役一人当たりのサリン散布量が約200ミリリットルであること、豊田亨も実行役の一員であり、井上嘉浩もこの計画に加わることなどを伝え、林泰男に対し井上との連絡役を務めるよう指示した。

 5 3月18日夕方ころ、第6サティアン3階の村井秀夫の部屋で、村井並びに集まった広瀬健一、横山真人、井上嘉浩及び林泰男が、営団地下鉄千代田線、丸ノ内線、日比谷線の各霞ヶ関駅について駅付近の略図、各駅からの所要時間、出口に近い車両等を示した図等が記載されている井上の持参した「地下鉄最新ガイドマップ」等を見ながら、サリンを散布する地下鉄の路線や散布する時刻等について検討した結果、日比谷線、丸ノ内線及び千代田線の3路線5方面の電車内で、3月20日の乗客の多い時間帯である午前8時に一斉にサリンを散布することなどが決定された。
 その際、井上は、村井らに対し、実行役らが都内に集まる場所としてCHS(諜報省)の部屋を提供する旨申し出たほか、実行役の乗車駅までの搬送及び降車駅からの逃走のために自動車5台及び運転手5人が必要であることを説明し、村井も納得してその件は被告に聞いてみる旨述べた。

 6 (1) ところで、村井秀夫は、リムジン謀議後、第6サティアン2階の中川智正の部屋に行き、中川に対し、「できるだけ早くサリンを造ってくれ。造れるだけ造ってくれ。地下鉄でサリンを使うんだ」などと言って、中川の隠匿しているジフロを使って遠藤誠一らと共にサリンを生成するよう指示していたが、中川は、3月18日夕方までに、隠匿していたジフロをジーヴァカ棟に持参し、遠藤に渡した。
遠藤は、青色サリン溶液をはじめこれまで教団が造ったサリンは最終工程においてジフロとジクロにイソプロピルアルコールを反応させて生成していたが今回はジクロがないことからジクロを使わないでジフロからサリンを生成せざるを得ず、そのためにはジフロにイソプロピルアルコールを加えればよいとされているものの、具体的な生成方法を含めて検討する必要があると考え、土谷正実に対し、ジフロからサリンを生成する方法について尋ねるとともに、中川から渡されたジフロが本当にジフロであるかどうかについて分析を依頼した。

 (2) 遠藤誠一は、18日午後11時ごろ、村井秀夫に連れられて第6サティアン1階の麻原彰晃被告の部屋を訪れた。
その際、被告は、遠藤に対し、「ジーヴァカ(遠藤)、サリン造れよ」などと言い、責任をもってサリンの生成に取り組むよう念を押した。

 (3) 遠藤誠一は、中川智正を呼び出し、土谷正実から教わった生成方法に基づき、さらに具体的に議論を交わし、土谷に相談するなどした上で、ヘキサンを溶媒として、NNジエチルアニリンを反応促進剤としてそれぞれ使いジフロにイソプロピルアルコールを滴下するという方法でサリンを生成することに決め、土谷に、ジフロからサリンを生成するために必要な薬品等の量に関する物質収支メモを作成するよう依頼した。

 7 前日の夜責任をもってサリン生成に取り組むよう念を押された遠藤誠一は、3月19日正午前ころ、村井秀夫に連れられて第6サティアン1階の麻原彰晃被告の部屋を訪れた際、被告から、「まだ、やっていないんだろう」と言われて早くサリンの生成に着手するよう暗に指示され、部屋を出た後、村井からも「早くやってくれ。今日中にやってくれ」などと督促された。

 8 一方、村井秀夫と井上嘉浩は、19日午後1時過ぎころ、麻原彰晃被告に運転手役の人選や実行役との組合わせ等について指示を仰ぐため、第6サティアン1階の被告の部屋に行った。
被告は、サリンの生成など犯行の準備が進んでいないことにいらだち、「おまえら、やる気ないみたいだから、今回はやめにしようか」と言い、同人らが黙っていると、被告は、さらに「アーナンダ(井上)、どうだ」と聞いた。
これに対し、井上は、「尊師の指示に従います」と答え、村井も「サンジャヤ師(広瀬健一)たちもやる気満々で、みんな下見に出掛けています」などと答え、計画を実行する意志の強いことを示したので、被告は「じゃ、おまえたちに任せる」と言った。
 その後、村井が、被告に対し、実行役の搬送及び逃走用の車の運転手役等について指示を仰いだところ、被告は、新実智光、杉本繁郎、外崎清隆、北村浩一及び高橋克也を運転手役として人選した上、林郁夫と新実、林泰男と杉本、横山真人と外崎、広瀬健一と北村、豊田亨と高橋克也をそれぞれ組み合わせて実行するよう指示した。

 9 井上嘉浩は、19日午後7時ころ今川の家(杉並アジト)に到着し、待機していた林泰男に対し、麻原彰晃被告の指示により運転手役が新実智光、杉本繁郎、外崎清隆、北村浩一及び高橋克也の5名に決まったことなどを告げ、実行役及び運転手役に対しCHS(諜報省)の東京の拠点である東京都渋谷区内の渋谷ホームズに移動するよう指示した。
 その後、井上は、リムジン謀議に基づき、19日午後7時25分ころ、配下の信者らと共に、前記2件の自作自演事件を実行し、各現場に教団を誹謗する犯行声明文を置き、教団の敵対勢力による教団を対象としたテロであるように装った。

 10 村井秀夫や井上嘉浩の指示を受けた実行役の林泰男、豊田亨、広瀬健一、横山真人及び林郁夫並びに運転手役の杉本繁郎、高橋克也、北村浩一、外崎清隆及び新実智光に井上を加えた合計11名は、19日午後9時過ぎころまでに、渋谷ホームズに集結した。
 井上は、19日午後10時ころまでの間に、同所において、実行役及び運転手役計10名に対し、散布するサリンの量が実行役1人につき1リットルになったことを伝えたほか、日比谷線中目黒方面行きは林泰男と杉本、同線北千住方面行きは豊田と高橋、丸ノ内線荻窪駅方面行きは広瀬と北村、同線池袋方面行きは横山と外崎、千代田線代々木上原方面行きは林郁夫と新実がそれぞれ担当すること、サリン散布後降車する駅については、林泰男が秋葉原駅、豊田が恵比寿駅、広瀬が御茶ノ水駅、横山が四ッ谷駅、林郁夫が新御茶ノ水駅であること、サリンを散布する時刻はいずれの路線も3月20日午前8時とし、降車駅で降車する直前に電車内にサリンを散布すること、実行役は降車駅の二つか三つ手前の駅で乗車することとするが、午前8時にサリンを散布してその直後に降車駅で降車できるような電車を選び、しかも、霞ヶ関駅において警視庁への出口に近い車両に乗車することなどを指示した。
 その後、実行役及び運転手役らは、19日午後10時ころ、数台の自動車に分乗して、それぞれの担当する路線の乗降駅に行って下見をし、乗車駅で乗車すべき電車の発車時刻や、サリン散布後の降車駅における待ち合わせ場所等を確認するなどし、渋谷ホームズに戻った。

 11 (1) 一方、麻原彰晃被告や村井秀夫から早くサリンを生成するよう言われた遠藤誠一は、中川智正らと共に、土谷正実の作成した物質収支メモ等に基づき、3月19日夕方ころ、強制排気装置が残されているジーヴァカ棟内のドラフトルームで、ジフロ、ヘキサン、NNジエチルアニリンの溶液にイソプロピルアルコールの滴下を始めてサリンの生成を開始し、その溶液を加熱するなどしてこれを反応させ、19日午後8時ころ、ヘキサン、NNジエチルアニリンのほかサリンを約30%含有する約5ないし6リットルの溶液(サリン混合液)を生成した。
サリン混合液は上下2層に分かれたが、土谷がGC/MSにより分析した結果、いずれもサリンを含有することを確認した。

 (2) 遠藤誠一は、サリン混合液からサリンだけを分留することを考えたが、土谷から1日くらいかかると言われたことから、麻原彰晃被告の指示を仰ぐため、19日午後10時30分ころ、第6サティアン1階の被告の部屋に行き、被告に対し、「できたみたいです。ただし、まだ純粋な形ではなく、混合物です」と報告すると、被告は、「ジーヴァカ、いいよ、それで。それ以上やらなくていいから」と、サリンを分留することなくそのまま使って構わない旨答えた。

 (3) 麻原彰晃被告は、そのころまでに、サリンの散布方法について、村井秀夫と検討した上、サリンを袋詰めにし、これを先のとがった傘で突き刺してサリンを流出し気化させる方法を採用することにし、その意を受けた村井の指示により、中川智正は、既に約20センチ四方の四角形の密閉ビニール袋の一角が切り取られ注入口となっている五角形のビニール袋を作っていた。
 
 (4) 遠藤誠一及び中川智正は、サリンの分留が不要になったことから、村井の指示に基づき、その五角形のビニール袋に、1袋当たりサリン混合液を約500グラムないし約600グラムずつ注入した上注入口をシーラーで圧着するなどして、サリン混合液入りのビニール袋(サリン入りビニール袋)を11個作り、さらに、村井の指示を受け、実行時までのサリンの漏出に備え、いずれも新たに作った一回り大きいビニール袋に入れてビニール袋を二重にした後、段ボール箱に入れた。

 12 (1) 井上嘉浩は、3月20日午前0時ころ、まだサリンが渋谷ホームズに届けられていなかったことから、サリンを受け取るために上九一色村の教団施設に向かった。

 (2) 麻原彰晃被告は、実行役にサリン散布方法について練習させておくことが必要であると考え、村井秀夫にその旨指示した。
村井は、井上嘉浩に連絡して実行役全員を上九一色村の教団施設に呼び戻させようとしたが、井上となかなか連絡がとれなかったため、林泰男に直接、実行役5名全員で第7サティアンに戻ってくるよう指示した。
林泰男ら実行役5名は、20日午前2時ころ、普通乗用自動車2台に分乗して渋谷ホームズを出発して第7サティアンに向かった。

 (3) 井上嘉浩は、20日午前2時ころ、上九一色村の教団施設に到着し、第6サティアン1階の麻原彰晃被告の部屋に行き、被告に自作自演事件を実行したことを報告した。
被告は、村井秀夫から井上が上九一色村の教団施設に向かっていて連絡がとれないことを聞いていたため、井上に対し、「何でおまえは勝手に動くんだ」と怒った。
そのとき、村井が同所に来て被告に対し、1時間余りで実行役が第7サティアンにやってくることなどを伝えた。

 (4) その後、遠藤誠一が前記サリン入りビニール袋11個を入れた段ボール箱を持って同所に来て、麻原彰晃被告に対し、中にサリンが入っていることを説明し、被告のエネルギーを注入することによってその物の効果を高める儀式である修法を求めてきたことから、被告は、遠藤にそれを持たせたまま、段ボールの下に手を入れて瞑想をし修法を終えた。

 13 (1) 林泰男ら実行役5名は、20日午前3時ころ、第7サティアンに到着した。
村井秀夫は、第7サティアン1階で、実行役5名に対し、先をとがらせた傘の先端でサリン入りビニール袋を突き刺してサリンを流出させ、気化させる方法でサリンを散布することを説明した上、サリン入りビニール袋はビニール袋が二重になっているので、実行前に外側のビニール袋を取り外すこと、傘の先端に付いたサリンは水で洗い流し、傘は持ち帰ることなどを注意した。
実行役5名は、水入りビニール袋をビニール傘の先端で突き刺す練習をした。
その結果、乗客に不審を抱かれないようサリン入りビニール袋は新聞紙で包み、それを傘の先端で突き刺すことになった。

  (2) 続いて、実行役5名は、村井秀夫から、サリン入りビニール袋が11個ある旨の説明を受け、
林泰男が3個、他の4名の実行役が2個ずつを引き受けることになり、村井から、サリン入りビニール袋11個及び前記ビニール傘5本を受け取った。

 (3) 林泰男ら実行役5名は、普通乗用自動車2台に分乗して、20日午前5時ころ、渋谷ホームズに戻った。

 14 実行役5名は、20日午前6時前後ころ、サリン入りビニール袋及びビニール傘等を用意するなど準備を終えた者から相前後して、それぞれの運転手役と共に、普通乗用自動車5台に分乗し、渋谷ホームズを出発した。

 15 (1) 林泰男は、杉本繁郎の運転する普通乗用自動車で、日比谷線上野駅まで送られ、上野駅か仲御徒町駅から中目黒行き日比谷線A720S電車の第3車両に乗車し、次の秋葉原駅に到着するまでに、新聞紙で包んだサリン入りビニール袋3個を車両床上に落とした。

 (2) 豊田亨は、高橋克也の運転する普通乗用自動車で、日比谷線中目黒駅まで送られ、東武動物公園行き日比谷線B711T電車の第1車両に乗車し、次の恵比寿駅に到着するまでに、新聞紙で包んだサリン入りビニール袋2個を車両床上に置いた。

 (3) 広瀬健一は、北村浩一の運転する普通乗用自動車で丸ノ内線四ッ谷駅まで送られ、丸ノ内線、JR線で池袋駅に行き、荻窪行き丸ノ内線A777電車に乗車し、御茶ノ水駅に到着するまでに、その第3車両でサリン入りビニール袋2個を車両床上に落とした。

 (4) 林郁夫は、新実智光の運転する普通乗用自動車で、千代田線千駄木駅まで送られ同線北千住駅から代々木上原行き千代田線A725K電車の第1車両に乗車し、新御茶ノ水駅に到着するまでに、新聞紙で包んだサリン入りビニール袋2個を車両床上に落とした。
 
 (5) 横山真人は、外崎清隆の運転する普通乗用自動車で送られ、池袋行き丸ノ内線B701電車に四ッ谷駅手前の駅で乗車し、四ッ谷駅に到着するまでに、その第5車両で、新聞紙に包んだサリン入りビニール袋2個を車両床上に移動させた。

 【罪となるべき事実】
 麻原彰晃被告は、村井秀夫、井上嘉浩、遠藤誠一、土谷正実、中川智正、林泰男、豊田亨、広瀬健一、林郁夫、横山真人、杉本繁郎、高橋克也、北村浩一、新実智光、外崎清隆と共謀の上、
いずれも東京都千代田区の営団地下鉄霞ケ関駅に停車する日比谷線、千代田線および丸ノ内線の各電車内等にサリンを発散させて不特定多数の乗客などを殺害しようと企て、

第1 95年3月20日午前8時ころ、東京都千代田区の日比谷線秋葉原駅直前付近を走行中の北千住始発中目黒行きA720S電車内において、林泰男が、新聞紙に包まれたサリン入りビニール袋3個を所携の先端をとがらせた傘で突き刺し、サリンを流出気化させて同電車内等に発散させ、上記秋葉原駅から東京都中央区の同線築地駅に至る間の同電車内又は各停車駅構内において、岩田孝子(当時33歳)ほか7人をしてサリンガスを吸入させるなどし、よって、20日午前8時2分ころないし20日午前8時30分ころから96年6月11日午前10時40分ころまでの間、同区の同線小伝馬町駅構内又はその付近ほか7カ所において、岩田孝子ほか6人をサリン中毒により、岡田三夫(当時51歳)をサリン中毒に起因する敗血症により、それぞれ死亡させて殺害するとともに、男性(当時35歳)ほか2人をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、サリン中毒症を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかった。

第2 95年3月20日午前8時ころ、東京都渋谷区の日比谷線恵比寿駅直前付近を走行中の中目黒始発東武動物公園行きB711T電車内において、豊田亨が、新聞紙に包まれたサリン入りビニール袋2個を所携の先端をとがらせた傘で突き刺し、サリンを流出気化させて同電車内等に発散させ、上記恵比寿駅から前記霞ヶ関駅に至る間の同電車内又は東京都港区の同線神谷町駅構内において、渡辺春吉(当時92歳)をしてサリンガスを吸入させるなどし、よって、20日午前8時11分ころないし20日午前8時43分ころ、上記神谷町駅構内において、同人をサリン中毒により死亡させて殺害するとともに、尾山孝治(当時61歳)ほか1人をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、サリン中毒症を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかった。

第3 95年3月20日午前7時59分ころ、東京都文京区の丸ノ内線御茶ノ水駅直前付近を走行中の池袋始発荻窪行きA777電車内において、広瀬健一が、サリン入りビニール袋2個を所携の先端をとがらせた傘で突き刺し、サリンを流出気化させて同電車内等に発散させ、上記御茶ノ水駅から東京都中野区の同線中野坂上駅に至る間の同電車内又は上記中野坂上駅構内において、中越辰雄(当時54歳)をしてサリンガスを吸入させるなどし、よって、3月21日午前6時35分ころ、東京女子医科大学病院において、同人をサリン中毒により死亡させて殺害するとともに、女性(当時31歳)ほか2人をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、サリン中毒症を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかった。

第4 95年3月20日午前8時ころ、東京都千代田区の千代田線新御茶ノ水駅直前付近を走行中の我孫子始発代々木上原行きA725K電車内において、林郁夫が、新聞紙に包まれたサリン入りビニール袋2個を所携の先端をとがらせた傘で突き刺し、サリンを流出気化させて同電車内等に発散させ、上記新御茶ノ水駅から同区の同線国会議事堂駅に至る間の同電車内又は同線霞ヶ関駅構内において、高橋一正(当時50歳)ほか1人をしてサリンガスを吸入させるなどし、よって、20日午前9時23分ころから3月21日午前4時46分ころまでの間、同区所在の日比谷病院ほか1カ所において、高橋一正ほか1人をサリン中毒により死亡させて殺害するとともに、女性(当時25歳)ほか1人をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、サリン中毒症を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかった。

第5 95年3月20日午前8時ころ、東京都新宿区の丸の内線四ツ谷駅直前付近を走行中の荻窪始発池袋行きB701電車内において、横山真人が、新聞紙に包まれたサリン入りビニール袋2個を所携の先端をとがらせた傘で突き刺し、サリンを流出気化させて同電車内等に発散させ、上記四ッ谷駅から同線池袋駅で折り返した後前記の同線霞ヶ関駅に至る間の同電車(A801)内において、男性(当時37歳)ほか3人をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、サリン中毒症を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかったものである。


 【弁護人の主張に対する当裁判所の判断】
 1 (1) 弁護人は、地下鉄サリン事件において散布された物質がサリンであることについては重大な疑問がある、すなわち、現場遺留品であるビニール袋内等の液体についてサリンを含有するとの鑑定結果があるが、その現場遺留品と鑑定資料との同一性について証明がされていないし、その鑑定方法も鑑定資料からサリンが検出されたと結論づけるには十分なものとはいえないと主張する。

 (2) しかしながら、関係証拠によれば、地下鉄サリン事件の実行担当者が地下鉄車両内に持ち込み傘で突き刺したビニール袋にあった液体又はそのビニール袋から流れ出た液体について警視庁科学捜査研究所において鑑定がされ、いずれもサリンを含有する又はサリンが検出されたとの鑑定結果が得られた事実を優に認めることができる。
そのことは地下鉄サリン事件の実行に使用されたビニール袋を製作した中川が、鑑定資料の一部であるビニール袋の写真を見て自分が作った袋であると証言していることや、鑑定結果の内容も、サリンの生成にかかわった遠藤、中川智正及び土谷正実の認識とも格別異なるものではないことからも明らかであり、したがって、現場遺留物と鑑定資料の同一性が証明されていない旨の弁護人の主張は採用することができない。
 
 (3) 次に、関係証拠(主として鑑定関係の証拠等)によれば、

(ア) 警視庁科学捜査研究所において、
1、全鑑定資料について、GC/MS(EI法)による分析を行い、信頼性の置けるNISTのライブラリーにあるサリンのスペクトルや他のサリンのデータとも照合した上で、サリンと同定したこと、

2、霞ヶ関駅物件及び本郷3丁目物件について、CI法による分析を行い、サリンの分子量と一致するスペクトルを得たこと、

3、霞ヶ関駅物件に関し、水素とリン31について核磁気共鳴法(NMR)を実施し、同物件がメチルホスホン酸タイプのリン化合物でリンとフッ素が結合している旨の結果を得たこと、

4、霞ヶ関駅物件について水酸化カリウム水溶液により加水分解したところ、メチルホスホン酸モノイソプロピルを確認することができ、また、同物件を、エタノールに金属ナトリウムを溶かした物に加えたところ、メチルホスホン酸エチルイソプロピルエステルを確認することができるなど、同物件がサリンであることの裏づけを得たこと、

5、全鑑定資料について、サリンのほかに、サリンの副生成物であるメチルホスホン酸ジイソプロピルエステル及びジフロからサリンを生成する際に発生するフッ化水素をトラップすると同時に反応促進剤の役割を果たすNNジエチルアニリンを検出したこと、

6、数個の鑑定資料から、工業用ノルマルヘキサンの成分であるノルマルヘキサン、2−メチルペンタン、3−メチルペンタン及びメチルシクロペンタンを検出したこと、

7、霞ヶ関駅物件についてNMRにより分析した結果、同物件中にサリンが35%の割合で含まれている旨の結果を得たこと、

(イ) 科学警察研究所においては、 GC/MSによる分析がされ、霞ヶ関駅物件中にサリンが約30
%含まれている旨の鑑定結果を得たことなどが認められる。

 そして、証拠によって認められる上記の鑑定の経過ないし方法に照らすと、鑑定資料である液体にサリンが含有されている、又は、同液体からサリンを検出した旨の鑑定結果は十分に首肯するに足りるものというべきである。
さらに、その鑑定結果は、教団において、そのサリンが、ヘキサンを溶媒としNNジエチルアニリンを反応促進剤として使い、ジフロにイソプロピルアルコールを滴下させて生成されたものであること、
サリン生成後に、土谷が GC/MSなどにより、生成した液体にサリンが約30%含有されていることを確認したこと、サリンに被ばくした被害者のうち数人の血液中からサリンの第1次加水分解物であるメチルホスホン酸モノイソプロピルが検出されたことともよく整合している。
 したがって、地下鉄サリン事件の実行担当者が地下鉄車両内に流出させた液体はサリンを含有するものであったことは明らかである。
この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 2 (1) 弁護人は、サリンに被ばくしたとされる被害者らが、実際にサリンに被ばくし、その結果サリン中毒により死傷したことの証明がされていない上、地下鉄サリン事件の実行行為が殺人の実行行為であるといえるためには、大気中のサリンの量が人を殺すに足りる一定濃度以上存在し、あるいは、人が一定時間以上その場に留まっていることが必要であるが、その点の証明がなく、地下鉄サリン事件の実行行為が殺人の実行行為であることには疑問があると主張する。
 
 (2)  しかしながら、死傷被害者らがサリンが流出した地下鉄電車内又は駅構内にいたこと、死傷被害者らがサリン中毒の症状を呈し、数人の被害者の血液中からサリンの第1次加水分解物であるメチルホスホン酸モノイソプロピルが検出されたことなど証拠によって認められる事実関係に照らすと、死亡した被害者12人はサリンが流出し気化した電車内又は地下鉄駅構内においてサリンガスを吸入してサリン中毒により又はサリン中毒に起因する敗血症により死亡し、、サリン中毒症の障害を負った被害者14人も同様にサリンが流出し気化した電車内又は地下鉄駅構内においてサリンガスを吸入して縮瞳、コリンエステラーゼ値の低下をはじめ重いサリン中毒症の障害を負ったものであることを優に認めることができ、また、本件サリン散布の各実行行為が、死亡被害者12人に対する関係はもとより負傷被害者14人に対する関係においても、人の死という結果発生の危険性のある行為として殺人の実行行為性を有することは明らかである。

 3 (1) 弁護人は、地下鉄サリン事件は、教団に対する強制捜査が迫ったことに危機感を抱いた村井秀夫及び井上嘉浩が、麻原彰晃被告を差し置いて、計画し実行役に実行させたものであり、被告が、村井、井上及び遠藤誠一らに対し、地下鉄電車内にサリンを散布するよう指示したことはないと主張する。

 (2) 井上嘉浩は、
1、麻原彰晃被告の指示により井上が地下鉄霞ヶ関駅構内にボツリヌストキシン様の液体を噴霧したこと、
2、被告が食事会の際教団施設に対する強制捜査について話していた内容、
3、リムジン内における地下鉄サリン事件に関する被告らの会話の内容、
4、村井秀夫及び井上が運転手役の人選や実行役との組み合わせについて被告に指示を仰ぎにいった際の被告と村井及び井上の話の内容、
5、井上が95年3月20日午前2時ころ上九一色村の教団施設に戻った際の被告と村井及び井上の話の内容や、被告がサリンを修法した際の状況について、前記犯行に至る経緯に係る事実に沿う証言をし、

遠藤誠一は、
6、リムジン内での被告と遠藤の会話の内容、
7、3月18日午後11時ころ被告が遠藤に話した内容、
8、3月19日正午前ころ被告や村井が遠藤に話した内容、
9、3月19日午後10時30分ころの被告と遠藤との会話の内容について、前記犯行に至る経緯に係る事実に沿う証言をしているが、井上及び遠藤の各証言の信用性は優にこれを認めることができる。
その理由は次のとおりである。

 (2) これまでみてきたとおり、麻原彰晃被告は、国家権力を倒しオウム国家を建設して自らその王となり日本を支配するという野望を抱き、多数の自動小銃の製造や首都を壊滅するために散布するサリンを大量に生成するサリンプラントの早期完成を企てるなど教団の武装化を推進してきたものであるが、このような被告が最も恐れるのは、教団の武装化が完成する前に、教団施設に対する強制捜査が行われることであり、95年に入り、上九一色村の土壌からサリンの残留物が検出された旨の新聞報道がされ、さらに、被告が井上嘉浩らに実行させた仮谷拉致事件がその事件直後から教団の犯行と疑われ、同事件に使用された車両から事件関係者のものとみられる指紋も検出された旨の新聞報道がされるに至っては、現実味を増した教団施設に対する大規模な強制捜査を阻止することが教団を存続発展させ、被告の野望を果たす上で最重要かつ緊急の課題であったことは容易に推認されるのであって、阪神大震災が発生したため間近と思われた教団施設に対する強制捜査が立ち消えになった旨認識し、かつ、東京にサリン70トンを散布することまでも考えこれまでも松本サリン事件等の実行を指示してきた被告が、阪神大震災に匹敵する大惨事を人為的に引き起こすことをもくろむことなく、教団に対する世間の同情を引くためだけの自作自演事件だけを井上らに指示するということは考え難い。
また、教団施設でサリンの生成に取り掛かった後に強制捜査があった場合、あるいは、地下鉄サリン事件が失敗しそれが教団による犯行であることが発覚した場合には教団は多大な打撃を受けるに至るのであり、そのような教団の存続にかかわる重大な事柄について、被告の弟子である村井や井上らが、グルである被告に無断で事を進めることもまた考えられない。
その意味で、上記井上証言及び遠藤証言は、このような当時の被告を取り巻く教団における内部事情をよく説明し得ている上、犯行に至る経緯として述べるところは自然であり、のみならず、相互に符合し、互いにその信用性を補強し合っている。
また、上記井上証言及び遠藤証言は、地下鉄サリン事件の犯行後、実行役5名と運転手役2人が被告に同犯行について報告した際の、被告と実行役及び運転手役との会話の内容ともよく整合している。

 (3) ア 井上嘉浩は、95年5月から同年6月にかけての捜査段階では、麻原彰晃被告とはグルと弟子の関係にあり9年間くらい被告を信仰していたことから、被告が出てくる場面については一切供述せず、それ以外の差し障りのないことについては供述していたが、95年10月ころ、被告の落田事件に関する供述調書で弟子が勝手にやった趣旨の供述がされている旨の新聞報道に接し、被告への信仰が揺らぎ始め、検察官に対し、リムジン車内での話の概要だけ供述し、その後、気持ちの整理をした上で、被告の面前で上記の証言をし、しかも、被告の不規則発言にもその証言内容は動揺しなかったものであり、このような事情等に照らすと、井上が、地下鉄サリン事件について被告の指示がないのに被告の指示がないのに被告から種々の指示が出された旨のうその供述をあえてしたものとは認め難い。

 イ ところで、関係証拠に照らすと、井上嘉浩は、地下鉄サリン事件の犯行において東京における現場指揮者という村井秀夫に次ぐ重要な立場にあったにもかかわらず、公判では、地下鉄サリン事件の実行については、村井が総指揮を執り、井上は自動車を手配したり、実行役と運転手役の組み合わせを渋谷ホームズに伝えたりするなどの手伝いをしたにすぎず、むしろ、自分は自作自演事件を主に担当していたという趣旨の供述をするなど、自己の刑事責任を軽減させるために既に死亡している村井や逃亡中であった林泰男に一部責任を転嫁し、自己の役割をわい小化する不自然不合理な供述をしている。
しかしながら、自己の刑事責任を軽減するために死亡した者や逃亡中の者に一部責任を転嫁する供述がみられることから直ちに、長い間グルとして信仰してきた被告の面前で供述した、地下鉄サリン事件に被告が関与している旨の井上証言の信用性が左右されるものではなく、その信用性が高いことはこれまでに説示してきた理由から明らかというべきである。

 (4) 以上のとおり信用性の高い井上嘉浩証言と遠藤誠一証言その他関係証拠によれば、麻原彰晃被告は、上九一色村に向かうリムジン車内で、村井秀夫、遠藤及び井上に対し、地下鉄電車内にサリンを散布する無差別大量殺りくを指示し、同人らとの間でその共謀を遂げたことは明らかである。
この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 (5) 弁護人は、麻原彰晃被告が同席していたリムジン車内では、地下鉄サリン事件の実行については何ら決定されていないから、同車内において地下鉄サリン事件の共謀は成立していないと主張する。
 しかしながら、リムジン車内では、地下鉄サリン事件の犯行の目的、方法、役割分担など犯行の重要部分が決定されているほか、リムジン謀議後地下鉄サリン事件の実行に至るまでの被告の村井、井上及び遠藤に対する種々の指示内容や、実際にリムジン車内で決められたとおりに犯行の準備がされ実行されたことなどから照らすと、リムジン車内において、被告と村井、井上及び遠藤の間で、地下鉄電車内にサリンを散布する無差別大量殺りくについて共謀が成立していたことは明らかである。
この点に関する弁護人の主張は採用することができない。



       量刑の理由

略

       判決主文

           被告人を死刑に処する。 
 





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