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中島眞一郎
(人権尊重を求める市民の会代表)


熊本から来ました中島です。長時間で本当にお疲れだと思います。
距離的に、私が一番遠くから来たと思います。さっき、主催者側から話があったように、旅費が出るかどうかは、参加者の数で頭割りにされますとのことだったので、最初の進行を見てたら、これは話す時間も無くて、ひょっとしたら金も出ないままで帰らされるのかな、という不安は正直言ってあったんですけど(笑)、とりあえず時間を与えて頂きました。


オウムとの関わり

実は、私が初めてオウム教団の方と直接お会いしたのは今から五年前ですかね。オウム教団が波野村に来てからです。
しかも、その半年後なんですね。猛烈な追放運動が起こりました。
坂本事件絡みの容疑で週刊誌が叩いていましたから、その情報しかなかったんですけど、女・子供がさらわれる、とか、血の儀式とか、いろんな形のその週刊誌が全村どころか阿蘇郡内全部にばらまかれて、当然パニックになりますから、猛烈な反対運動が起きました。
それは熊本県内中、追放という形で、いろんな噂を呼んで、女・子供がさらわれる、ということが、次から次に。
私自身、主に他に、原発問題とか環境問題とか、外国人の人権問題の方をやっていて、宗教問題とかにはあまり興味が無かったんですけど、ただ、誰も声を上げない状況が出来ちゃったんですね。
当然、弁護士会とか弁護士の方が何か言われるだろうと思っていたら、オウムの味方はしない、と誰も何も言いませんし、解放同盟を含めて、差別に反対したりしてた人達が皆、黙っちゃうんです。
だから、半年経って、しかも住民票の不受理がなされて、強制捜査も含めて、これは明らかに坂本事件の別件容疑ということで、ワーッと入って、強制捜査が行われたりしたんですけど、オウム教団関係者の人達が集会所を借りたりしようとしても、次から次に断られ、集会も開けないという状況があった中で、これはやはり自分の立場が問われると思って、声を上げようということで。
頭では皆さん賛成される方は多いんですけど、実際に行動する人がいないんですね。
特に、名前を出して、連絡先を出したり街頭で顔出してくれる人は一人いるかいないかで、ちょっとは変わるんですけど、それが居なかったもんですから、もう覚悟を決めて始めました。
その時に、坂本事件が本当にどうだろうかと、私も事実は分かりませんでしたけど、ただ、仮にそうであっても、これは許されないというところから始めよう、というのが私たちの呼び掛けの原点なんです。
?????集会が人として同じに扱われるということと、オウム問題を例外にしないということですね。
正直言って、今日の主催者を含めて、会場をすんなり借りられているということも、私から見ると、むしろ良かった、というか、よく借りれたという気持ちでいつも驚くくらいです。


拒否された会場使用

当時、熊本県内で、おかしいと思って、オウム教団側も波野村村民の方も含めて、住民を含めて呼んでシンポジウムを開こうと。これは、公平な立場で、両方から聞きましょうということで企画をしたんですけども、ことごとく断られて、拒否されました。
特に、NHKの有名なアナウンサーだった鈴木健二さんが館長をしている県立劇場は門前払いで、受付けもしてもらえませんでしたので、仕方なく裁判を起こそうと思ったら、今度は弁護士が誰も引き受けてが無くて、仕方ないから本人訴訟で八人でやりました。勝ったんです。
勝って、次に二回目の申請をしたら今度は許可されました。ところが、報道でそれを聞きつけた右翼団体が、当時応援に来ていた右翼団体、西日本の三十数団体、この人達が街宣行動で県庁とか県立劇場に圧力をかけて、私も自分の自宅を含めて、連日スピーカーでガンガン、「オウムの手先・中島を追放しよう」とか(笑)「裏切者のエセ人権活動家を追放しよう」とかいうのをやられましたし、抗議電話で「火を点けてやる」とか、そういうのはしょっちゅう受けましたね。
ただ、あんまり言われっぱなしじゃ嫌だったんで、その連絡先になってる右翼団体の方に電話をして。
というのは、あちらの関係者の中で、もしシンポジウムに参加し、自分たちの発言をさせるんだったら乗り込んでやってもいいということを右翼団体のメンバーが言ってたということを聞いたので、私はその党首と話をして、「あなたたちが妨害行動をやるんだったら、同じ時間を公平に与えますから」と、申込んだんです。
そしたら、今度はパネラーの中でビビる方がいて、右翼が来るんだったら来ない、という方がいたんですけど、その先生には私は、もう来られなくていいです、と。
そういう新たな知らない人とやっていく以上、そういうリスクは負いますから、ということで申込んだんですけど、今度は肝心の右翼団体が立場上来れないということで、結局、来てもらえませんでした。


右翼も同じだった

ただ、その時に右翼と話をして、いろいろ教えて頂いて。言論が抑圧されていることとか、自分の子供が学校で「父親が右翼だ」といじめられるとか、アパートを追い出されるとかいうことで。彼らは非常に不思議だったんですけど、日本国憲法がある限り、中島さん達は勝ちます、と。
私達は、負ける波野村村民を最後まで応援するのが美学だという風に言ったんです。
ところが悲しいかな、波野村村民はお茶一杯出してくれないとか、そういう風な話を聞いて、それは、安易に我々が左翼だとかいうレッテルを貼られたりして、例えば赤軍派だとか、右翼から見たらそういうイメージで恐れられるんですけど、その恐れられる構図が、実はお互いに知らない、と、同じイメージの世界、観念の世界でレッテルを貼り付けているだけなんです。
それに気が付いて、具体的に「何人にも」という時に、自分の好きな人とか価値観の一緒の人には一所懸命言いますよね。
でもそうじゃない人間に対して言えるかどうかがやはり問われるだろうというのが、私達が関わってきたスタンスなんです。
それで、ずっと集会の自由を求めて、四回申込んで全部拒否されましたので、そのうち三回、損害賠償で裁判を起こして、二勝一負で高裁まで勝って、熊本県が諦めないで最高裁まで上げてくれましたので、多分、最高裁判決としては集会の自由の最初の判決にいずれはなるだろう、と思います。


突然の和解

ただ、そういう一連の動きで知りましたけど、波野村の問題は残念ながら私たちも不本意だったんですけど、オウム教団と、追放で対立していた村の執行部が手を打ちまして、和解金九億二千万で、撤退を条件にして提示しました。
それに対しては私達は、人権を金で売るものとしてオウム教団を批判しましたし、波野村に対しても、今まで言っていた主張と違うじゃないかということで申入れたんですけど、そういう風にして終わって、漸くオウム問題からはレッテルが剥がれて、他のことがやれるなと思ってたのが丁度一年前なんですけど、残念ながらこの一年間。


だから冤罪が起きる

事実について、本当は江川紹子さんが最後まで居てくれると思って期待して来たんですけど、事実については、実はよく分からないです。
分からないと言うのは別に否定している訳ではなくて、何が事実かと決めることはものすごく困難です。
だから冤罪が起きたりするわけでしょ。その時の事実の認定というのが、実は私はこの一連の問題の時に、全部事実であってもいいですという論理から話しているんです。
だから東京スポーツでも構いませんが、スポーツ紙などが言ったことが全部事実であるからといって、一番けしからんことは、このオウム事件には根幹的に差別があると私は思っているんですね。
結局、けしからん奴をやっつけろ、あるいは抹殺しろということで言えば、全て、時代劇なりテレビのドラマでもいいですけど、そうやって皆さんが満足する訳です。
で、その心境を、この一年以上、テレビはずっとその構図で報道した訳でしょ。その刷り込みたるや物凄いものがあります。
その時に、言われている事実が全部そうだった時に、私たちが民主主義であるためには、結局、適法手続きでやるということを決めている訳です。
だから仇討ちも禁止する、ちゃんと被疑者の人権を認めるという、その手続きを決めている訳ですから、それを守らせるかどうかが私たちにとって今問われていることなんです。


なぜ破防法に反対か

で、なぜ破防法に反対かなんですけど、端的に言って破壊活動防止法というのは、やっぱり現代の治安維持法だと思うんです。
何故私が反対かと言うと、思想・信条でいい人・悪い人をですね、一番けしからんと思える思想を持ってる人がいたとしても、それを持ってることを理由に処罰しないというのが、治安維持法を作らせないという戦後の反省なり出発点だと思うんです。
そのことが今、破防法によって踏みにじられる。だから、幾つか?????しますけど、これを決めるのは警察官なり公安調査庁です。公安調査庁がどの位杜撰かというのは、東京スポーツを材料として出せる訳ですから、従って、マスコミに出ている噂でどうこう言われたら防ぎようがないですね。
つまり、思想とか信条というのは、例えば私がよく批判されるのは、オウムの味方をすることになるから、中島さんの言うことは正論かもしれないけど、オウムの味方になることは嫌だ。
だから名前を出してくれるな、と。しかし、冤罪事件をやられている方であれ何であれ、そのことについて皆、差別に反対する人は、部落民でなくても部落民の味方をする訳でしょ。それを味方と言うなと言うのと同じなんです。
それを味方であるかどうかということですれば、結局オウムを例外にしちゃうでしょ。


「オウムでない」とどう証明?

だからその考えを、オウム教徒の味方をしたというふうに見られたら、もう逃れようがないんですね。警察に「お前はオウムの味方だ」と決め付けられた途端、破防法によって、実際に外形的行為であったら例えばカッターナイフを持たないとか、赤信号を渡らなければなんとか防げるかなとは思うんですけど、その考えを持ってるかどうかというのでは。
ですから皆さんも考えてください、今日集会に出られましたから。オウム教徒でないことを証明することがどうやってできますか。
警察官に「あいつはそうに違いない、その証拠にここに出られたでしょ」と言われた途端、もう防ぎようがないでしょ
そういうのが、この破防法の怖さだと思う。その意味では、私たちは一年前からそうだったんですけど、オウムの犯罪なり深刻なことが段々濃厚になったり明らかになってるから、私も今の裁判の進行を認めざるを得ないですけど、但し、私はそれが事実であっても自分が言ってきたことは別に変わらないと思っていますし、変えるつもりもありません。
そのことを守れるかどうかが、日本の民主主義が確立するかどうかですね。
そして、このオウム叩きというのは、実は非常に都合のいいことに、結局かつての戦時中の構図なり、有事体制を含めて、警察や公安警察官に巨大な権限を与えているんです。
そのことに対する警戒心は、市民運動をやる人達が本当に立ち上がっていかなければいけないんだろうと思います。
私達も正直言って、先程神坂さんが話されたように、旧来の人間関係が結構ズタズタになりました。いろんな仲間内の枠組みが?????。
ただ私は、数が力だと言っても、正直言って我々はもともと小数派で、大した数じゃなかったんです。


数に頼らぬ運動

数に頼った運動をしてなかったと思ったら、意外と皆、数に頼ってたんです。で、やっぱり自分で確信してこの主張でやろうと思って、そこで信じてくれる人が少なければ、その実体で言い続けようと思って、今でも声を上げています。それで、その上でそういう人が一人でも増えていくことが、実際には大きな力になるだろうと思います。
それでとりあえず、公安審査委員会が今、密室で審議されているので、抗議電話をいれたりしていろいろ話してきても、なかなか公にしないんですね。
で、この公安審査委員会の審査をやはり公にさせていくことが、今、当面必要なことではないかと考え、申入書を出すなりしたいのと、私の周りのメンバーの中で、一人、今年四月から町会議員になったハシモトユウスケ?????さんという、大分県のおがたまち?????の、人口七千人位の過疎の町、なんですけど、この方が紹介議員になってくれましたので、請願をしました。
建前としては、町議会の?????会というのは、破防法はいけないことは分かります、しかし私達の町から最初に言うのは嫌です。
これが?????。ただ、オウム報道が今、激減したおかげで、追い風は私は無くなったと思いますし、端的に言って、こんな、一年近くも時間をかけている間に破防法の緊急性が本当にあるんだったら、とっくに大事件が次々起きていたはずです。
だから、時間が経てば経つほど、結局、破防法の推進力というのは私は意味を無くしていくだろうと思いますので、後は具体的にこれがいけないと皆が言える環境が作れるかどうかが大事だろうと思うので、九月の町議会でもう一度同じものを読んでもらうのと、一応、?????世帯に全部アンケートを出してくれというように頼んであるんです。
本当に八割賛成というのが、いつごろの時点で誰がやったのかということを、ニュース・ステーションらしいんですけど、現時点でもそうなのか、自分達で確かめたいんですね。そして、どういう内容を知っているのかですね。
それらを含めて、実はですね、破防法反対というのは昔、大多数の人が言っていたことなので、ここ一年半だけでこれだけ急激に塗り変わった訳ですから、それはやっぱり元に戻して行くことを私達が始めていきたいと思いますし、私だって、自分のやってきたことや言ってることが事実であれば、もうこの先は堂々と向き合って生きていこうと思うんです。
その結果、適用されるのならしてくれという、破防法裁判の被告の第一号でも構いませんよ、というそういう人達が多く登場していくことが、これを防ぐことだろうと思います。だから、物凄くですね、こんなに怖い法律ですよ、ということで自主規制して、それを取り込んでいくって思う壷でしょ。
だから、無知でもいいですから、自分が正しいと思った生き方や主張をしていく人を多く作っていくことが破防法を止めることだろうと思いますので、一つは私のしていることも賛同して頂いて、是非、全国的にいろんな人が取り組んで頂きたいと思います。以上です。





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