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千代丸健二
(ジャーナリスト・人権110番主宰)


こんにちは。千代丸健二です。
東京で、反・警察というか、警察の、交通違反を巡る事件などで一緒に戦った仲間が来ています。嬉しいですね。あとでまた話しましょう。


警察は暴力団

私自身は、冤罪事件として十年裁判をやった経験からですね、とにかく警察というのは国営暴力団だと。
暴力団って一般的に言えば、ことさら私営暴力団と言わなくても、暴力団は暴力団ですね。ところが両方とも共通項があります。
まず、顔つきが似ている。ピストルを持っている。
それから、たかる。暴力をふるう。まさにその通りなんです。
で、黒を白、と。上の命令は絶対的に聞きますね。
アメリカの警察と日本の警察の違いを言うならば、民主警察とか地方分権と言われても、全く中身が違います。
アメリカでは例えばシェリフがいる、マーシャルがいる、FBIがある。まあ様々な警察があります。地方検事補だとかね、それも選挙によって選ばれたりね。つまり、お上という意識が無いんですね。
日本はまさに、中身は本当は違うんだけれども、同じ顔つき、同じ言葉を喋る。単一民族である。日本人だから分かるだろう、ということを言います。分からないですね。
喋らなくても分かるだろう、ということを、ずっと我々の社会で、国家と言うのは一つの国、国民そのものが家族である、という言い方をされてきました。
で、まさに、まあ二千年以上続いている天皇の云々なんて言うけど、これはもう天皇だって分かりもしないし、南北朝もあったし、朝鮮の方から飛来した人達であるし、だから天皇の墓を暴けということに、非常に興味を持っている訳ですね。


日本人と信仰

じゃあ日本人は信仰が無いかと言ったら、どっこい、今度のオウム真理教を巡っては、ああ、こんなに信仰心が深い人達が居たのか、ということで。
日本には無かった出家制度がある。まさに異端ですね、日本社会ではね。出家っていうのは、比叡山の奥の方に入って、一年に一回とか何年に一回、NHKが、「今から秘境を初めて公開」なんてテレビでやって、お坊さんが朝早くからね、一日二食とか一食で、一所懸命雑巾掛けしてる。そういう風景を、あれを出家と。
しかし、インドに行き、その他東南アジアの国には、出家制度はいっぱいある訳ですね。
日本の仏教は、これは日本に於いての仏教であるけれども、例えば無着成恭だとか、あるいは瀬戸内晴美。寂聴尼というんですが、彼女もやはり得度をしたということで、
「いや、オウムは本物じゃありませんよ。仏さんがそう言ってる」
って。
いかにも仏様と親戚か親子みたいなね。
そりゃあ自分の価値観で言ってるんで、本物か偽物かなんて分かりっこないんです。あくまで日本的な立場から考える訳ですね。
皆さん達が信じている仏教、あるいはチベット密教の教えには「殺せ」というのは無い。
しかし私が見たものの中にいろいろあったんですが、殺さない仏教というのはあるのか、ということになるんですね。やはり「観念!」とか「覚悟!」とかね。
そして、最後は、「お慈悲」といって、やはり最後は、生きているのが苦しいなら心臓にとどめをさして殺せ、と。
あるいは、七生、つまりなんて言うかな、命は永遠に、ということで輪廻転生という考え方が出てくるのと同じですね。歎異鈔かな、涅槃経にもね、やはり悪を為すものは倒してでも、あるいは殺すべし、ということが解釈できる部分もあるというんですね。
私は涅槃経は読んでませんから分かりませんが、ともあれ、それぞれの解釈が流れている。日本の仏教は、お経を読む、と言うけれど、まさにこれは読まなきゃいけない。
で、坊主が今、何をやってるかと言えば、本当にお寺さんを構えて、観光仏教だらけですね。この前、久しぶりに京都に行ってみたら、寺町の裏通りというのがった。で、ガードマンが立っていた。私と同じ位の年の。私は今六十三ですが。
彼曰く、長い間にいろんな建設会社に居たけれども、さあ、どこか就職無いか、と。ああ、ここならあるよ、と銀行の警備員をさせてくれた。
で、銀行というのは、そこは陽が暑いもんだから、横通りのお寺の中に入る訳ですね。で、私がずっとビデオを撮った。?????、?????教えてくれたんです。
京都の町っていうけどもね、って、つまり本能寺の変が起きて、本能寺はそのままに置いていたけれども、秀吉の話だったかな、いろんな寺を全部あの裏に持ってきたんですね。極楽寺、常徳寺、いっぱいあります。
オウム寺というのは無かったですね。おうむ寺、って書いたらいいようなものの、日本中探したら有るんじゃないかなという気がしますが、ともあれそういう仏教の話の中で、あの辺りは観光地化している。実際にね。
だから、京都の中で、?????と言われるようなことも起きてるけれども、四条河原町辺りを歩いて、さらに坂本龍馬がずっと隠れていたと言う材木屋さんに行きました。
それから中岡慎太郎が住んでたというのは、そこから二百メートル位の所です。で、京都の町の人に聞いても、知らない人もいるんですね。
だから今の日本の仏教というのは、つまり「お寺さん仏教」であるし、戒名を付けたり、他人の財産で、観光で飯を食ってる。
しかし、裏寺町の方の由緒ある寺にしてみれば、食えないそうです。で、本を書いたり大学の先生をして、それから初めて生活が出来るんですよ、と。
裏寺町通りの一画というのは、やっぱり名所だから、なかなか?????そうですが、実際それほどの、日本には八百万の神があると、?????と言いながら、実際に仏教心、宗教が無いといいながら、皆さん達・・・皆さんというのは今日、半分位の人がオウムの人だと思うんですが、その人達から見たらですね、実際問題として、何というのかな、そんなに信仰心が強かったか、と。
しかし、それはね、やはりここしか無いと思ったか、あるいは現世で十分なことをして、より心の豊さ、精神面なものを求め、煩悩を捨てて入った人。あるいは現実の社会ではなかなか十分なことが出来ない、もっと高いものを求めていった人。あるいは神秘体験を求めた人、と沢山有ります。
けど、その結果、事件を起こした。オウムの犯罪というけれども、私は一部の人間しか起こしていないと思うんですね。
組織ぐるみというけれども、組織全体と言うんだったら皆さん達も構成員です。


初期の江川氏は良かった

帝京大学の副学長の安部某は、おそらく?????と思います。しかし、世の?????悪役が出てくるんですね。
日本の最近の歴史の中で、麻原彰晃くらい悪役にはうってつけの人物はいないんです。で、叩いてた叩いて、叩きまくりますからね。
しかし、もうオウム・バッシングも大体飽いた。それに変わるものはないか、と。ワイドショーにしたって、芸能ネタがあって初めて飯を食ってたのが、芸能ネタのレポーターが、段々飯を食えなくなりましたね。
で、やっと、トコロ・タロウか、日本テレビの番組のメンバーが
「オウムの連中が会社を作った。さあ、これは資金源じゃないか」
とか、
「嵐の中の説法会!二百人くらい来て、一人が数十万、これだけでも数千万の金を集めた」
なんつって、音楽流してやってる訳ですね。そういうのを見てみると、先程の江川紹子さんに、帰られなければ少し話をしたかったんですが、「真実とは何か」、とか、「事実を伝えてる」と言いながら、それによって被害者が出てくる訳です。
で、仮に数字で言いますと、オウムの事件で逮捕された人、延べで言うと四百数十名、実際の数は三百八十数人、まあ四百人としましょうかね。
その内で起訴されたのは半分以下ですね。半分しか起訴できない、つまり裁判にかけられない。もっとも、裁判が公正かと言うと、公正じゃないです。
オウムだから逮捕した。別件逮捕、微罪逮捕、あるいは、でっちあげ逮捕。オウムという名前が付けば逮捕していい、と。
しかも、五回、四回と、繰り返し繰り返し拘留請求をした。
つまり裁判所もね、令状、ま、昔は差別語があって、言いませんけれども、輪転機みたいに、あるいは自動販売機みたいに令状をどんどんどんどん出すんです。
で、司法・行政・立法と言う三権に対してマスコミがチェックをする、つまり無資格のマスコミ人間がチェックをするからこそ、第四権力と言われたんですね。
で、私が江川さんに居ても居なくても、本人にも言ってきたが、初期の頃の江川さんはとても良かったと思います。
何故ならば、やはりオウムは犯罪集団である、何かやってるだろう、ということで、知人の坂本弁護士に関わって、追っかけて行った。
そうすると、その人が亡くなった。こりゃあ、オウムが臭い。その前に、オウムに子供を盗られた、家族を盗られたという、この人達の問題で関わる訳ですね。
それについても私は言います。小さな親切、大きなお世話、ってね。
だって、二十歳を過ぎた大人が行く訳でしょ。親が子離れしなさいよ。ガキの方がよっぽど早く親離れした訳です。
それでいて、5・6才あるいは中学生未満の子をこういう劣悪な環境に入れておくのは良くない、だから強制的に保護する。
法律の手続きも踏まずに、まさに児童福祉法治安立法的にやってしまった。という一連の行為に対して、我々は人身保護法なども駆使して、それで裁判所に出したけども東京高裁も最高裁も彼らに対する一時保護・・・私は言うんです、あれは保護なんてものじゃない、拉致監禁だ、警察による人さらいだと私は言っている。
その考え方は依然として変わらないんですが、ともあれ裁判所までが、最初にオウムありき、です。
オウムになら何やってもしょうがないんです。
つまり、有罪の判決を下すのは当たり前だ、と。
新聞記者から直に聞いた話ですが、東京高裁の裁判官は
「これがオウムじゃなかったらねえ。そのまま親元に帰すんだけど」
と、そういう良心を持ってるわけです。
しかし、そんな良心があるなら何故放さないか、と私は言います。


亀戸公妨でっち上げ事件

つい最近、八月七日に亀戸でオウム教団が記者会見をした。意見書を最終的に公安審査委員会に出しましたね
その後、記者会見が五時を過ぎて、六時十分ごろ出た時に、(会場に)山本康晴君が来てますが、彼が公務執行妨害で逮捕されるわけです。
オウムのアイドル、オウムの顔として非常に有名であるけれども、中でのステージは決して高くないであろうと推察される荒木浩さんが一緒に居たわけですね。でも彼らは「荒木君はいい」と。
ところが山本君に対しては「名前を言え!」と百メートル位追いかけてきて、小一時間やりあって、そして彼が逃げようとしたら後から追っかけてきて、首筋掴んで倒して。浴びせ倒しです。
それでひっくり返って後頭部を打ったんです。
その途端に公安警察は、転び公妨というんですが、
「あいたたた」
と自分で自分で膝抱えてね、そして三週間の診断書を取りやがってね、これで公務執行妨害プラス傷害です。
これで逮捕されたら一発でやられるんです。
ところが荒木君をずっと撮っていたビデオマンが居た。それから荒木君もビデオカメラを持っていた。なかなかいい心掛けですね。カメラやテープレコーダーは武器になりますからね。
それ以外に居たものや、四台のカメラが警官の行状を全部撮っていた。それをもってして、捜査弁護まで一貫して弁護した。拘留五日目に(身柄を)取り返しました。
その模様の同時記録を私はパソコン通信で全部流したんです、リアルタイムでね。警官、これはにのみやこういち、それからふくだみつるの名前を全部パソコンで流し、こいつらの写真も入れました。
江川さんの話に戻すと、ジャーナリストというのは、やっぱり権力に対して一定の距離を置かなきゃいかん。
ただ、初期の間の江川さんはよろしい。でも自分が調べもしないことを、テレビ屋さんがずーっとネタを拾ってきて、そして右向いて左向いて
「さあどうです、江川さん」
と。
このごろ彼女がテレビに出ないのは賢明だと思います。有田は出てますね。どうしようもないと思います(会場爆笑)。
つまり皆さんたちは警察に追われてやられればやられるほど食えなくなるわけね。ところが残念ながら皆さんたちは、死ぬとかね、過激なことはやらないんです。
やる力量もないですし、そんな思いもありません。せいぜいやったところでね、公務執行妨害ででっちあげられることはあったって、警官を殴るなんて気持ちはないですね。
随分武闘訓練をやってるようだけど、あまり(警官を殴ったりは)やっていないと思います。したがって、人の不幸を題材にして、一方は食えなくなる。
食えなくなる者を、テレビや新聞のいい加減なネタで、自分で調べもしないで、それを受けて「そうですね」と、あの人たちはもっともらしく喋ります。


真実とは?

じゃあ、事実とは何か。真実とは何か。あるいは真理とは。事実の背景は沢山あります。
真理とか真実は一つというけれど、真実は一つじゃないですね。
死刑囚となって、再審を何度もやった上で帰ってきた人もいます。
帝銀事件の平沢さんは、94才で獄中死をした。こういう人たちの事件に関わって見てみますとね、国家権力というのは、まさに最大の悪です。その最先端が警察です。


スーパーグル

1990年から麻原彰晃氏が私の事務所兼自宅に相談に来ました。
「助けてください。何故かというと、熊本での波野村で、弁護士を含めて大量に逮捕された。どのように救援なり、対策をたてたらよろしいか」
その時は美女の人たちを沢山連れて来ましたので、だから私は多くのサマナの人達には
「君達のグルは麻原彰晃である。しかしそのグルが千代丸健二の所に相談に来たんだから、私はスーパーグルである。まさに現世では皆、君達は私に相談に来るんだよ」
と。
去年1年間ずーっとオウム漬けであります。生活者の会、あるいは自分たちで戦いなさい。
ましてや破防法が適用されると逮捕の危険性もあると、ひしひしと感じているだろうから、その技術と対応は教えます。やはり
「戦わざる者には人権なし」
と。
まあ、しばらくの間は人権と信仰は両立するかということで悩みはあっただろうけれども、ま、人間というのは悩みながらだんだん大きくなるということでありまして、まあ皆さん達は肯定的に物事を取上げているところがあるので、これは救いがいあるな、と思っています。
その意味で、私はもうしばらくの間、皆さんたちとお付き合いしなくちゃならないかな、という思いで関わっていくつもりです。以上です。





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